「人を苦手としながら、人を求める」―矛盾が教えてくれた幸せの形

投稿者: | 2024年11月23日

わたしのビジョンは「認知症になっても、その人らしく生きることができる社会を」です。
このビジョンに少し疑問を持ち始めました。

私は人の役に立ちたいと思っています。しかし、「社会を変える」ということに違和感を持ち始めたのです。その一助になりたいとは思います。
一番は、目の前にいる困っている方を救いたい、支えたい、力になりたいと思います。

私は、人の役に立っていると実感したときに、幸せを感じます。私に限ったことではないと思います。「人の中で自分が何ができるか」。そういった葛藤を抱きながら、生きている方も多いと思います。

大学受験の面接の練習中、先生から「大学生になったら、どんなアルバイトをしたいですか?」
という質問がありました。
私は、「人と関わることが苦手なので、人と関わらないようなアルバイトをしたい」
と答えました。

社会福祉学部を志望していました。対人援助職を目指そうとしている人が、「人と関わりたくない」と言っていたのです。

今でも、人が苦手です。でも、だからこそ対人希求性(人を求めること)があると思います。
それは、間違いのない事実です。
しかし、人といると疲れます。慣れたコミュニティや波動の合う人とのコミュニケーションは苦ではありません。でも、できるだけ独りでいたいと思っています。


私は、高校2年生で統合失調症を発症しました。底つき体験を、何度味わってきたかわかりません。理不尽なことがたくさんありました。偏見を受けることもありました。生きづらさをとことん味わってきました。

しかし、生きることは諦めませんでした。

私が生き抜いていくための武器を、やっと手に入れました。
それは、「具合が悪いことがデフォルトである」というマインドで生きるということです。

そして、今年胃がんになり、さらなる武器を手に入れました。
それは、「自分の人生の「今、この瞬間」を生きる」ということです。

武器とは自分の「強み」です。

人生の中で、苦しい体験を誰もがすると思います。でもその度に、自分の「強み」を持つことができると思います。そして、自分の価値は上がっていくと思います。価値を、上がる、下がると表現することに若干の抵抗があります。私が言いたいのは、人と比較して、価値が、高い、低いとは違います。自分の中での「人としての価値」のことを表現したのです。経験は、価値を上げていくと思います。

人は皆、価値ある人間です。その価値を高めて、自分の人生を生きていくことが大切だと思います。他人の人生を生きることなく、じぶんの「選択」で生きていくのです。

人を苦手としながらも、人を求めて生きていく。でも、その苦しみの中に幸せがある。アンビバレンスな感情に留まりながら、自分の価値を高めていきます。答えを急がずに、時に自分の「価値」に問いかけながら、「今、この瞬間」を生きていきます。

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