「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という名言をご存知でしょうか。
これは、プロ野球で活躍された、野村克也監督の言葉です。
認知症の方へのケアが上手くいった時に、そのケアの方法が正しかったと思いこんでいる可能性があります。逆に、失敗したケアには根拠があるということです。
認知症の方に対する間違った認識
・重度になったら文字で自分の気持ちを表現できない。
→そんなことはありません。自分の悩み、悔しさを文章に表せることができます。
・孫に、「この動物の名前わからないの?しっかりしてよ」と言われた。「それが悔しい」
→動物の名前がわからないだけで、その方の価値は下がりません。しかし、自分の立場が低くなってしまったことに対して、悔しさを感じている。
・薬局で「ぼけに効く薬はないか」と尋ねたり、「娘に迷惑をかけたくないから養老院に入れて欲しい」とケアマネジャーに相談する。
→認知症の方は病識がないと言われていますが、自分の異変を感じています。そして、周りの人のこともよく見ています。
・ピアサポートグループで、月1回しか会わない方の集まりでも、回を重ねるごとに和やかな雰囲気になる。
→記憶障害があっても、その場の心地よさを敏感に感じ取り、感情記憶として残っているのかもしれません。自分が気に入った場所や人たちとの「結びつき」は記憶障害というものを越えた、深いつながりがあるのではないでしょうか。
・MCI(軽度認知障害)の方、長谷川式認知症スケールやMMSEなどの認知症スクリーニングテストで、高得点だった方でも深刻に悩んでいらっしゃいます。「死にたい」と思う方もいらっしゃいます。
→ケアする側は、認知症スクリーニングテストの点数をよくするのではなく、「死にたい」とまで思い悩む方に、寄り添うことです。
認知症の進行は止められません。しかし、進行したら悪化するわけではありません。
認知症の方の様子は、すべてその人の病気の進行のせいではなく、ケアに関わる人たちの関わり方もふくまれています。
パーソンセンタードケの5つの心理的ニーズ
共にあること
配偶者が自分を置いて出ていくという不安や不機嫌の背景には、自分の認知障害のために、家族と一緒にいても、上手く自分のことを話せない。それによって、孤立を感じてしまう。そんな感情が高まると、被害妄想が出現する場合があります。
段々できていたことが、できなくなる。自分自身の心身の衰え。その自覚が、被害妄想という形のメッセージとして、伝えようとしているかもしれません。
愛着・結びつき
ご夫婦で、例えば夫が認知症であるとき。
夫は、妻の姿がみえないと、落ち着かなくなり探し始めます。お風呂に入っていても、そこに確かにいることを確認することがあります。
それほどに、一人でいることに対する不安があります。だからこそ、人とのつながり、絆をもとめているのではないかと思います。
たずさわること
「人の中で自分という価値を知る」それは、自分に役割があることだと思います。
たとえば、90歳の認知症の方が、仕事をしたいと思っているとします。実際には、仕事になっていなくても、仕事の輪の中にいることが大切です。それによって、社会に関わっていると感覚的に思えるのだと思います。
「なにかをしたい」は、私を「認めて」、というメッセージだと思います。
アイデンティティ
大切なのは、いまの能力で判断しないことです。
アイデンティティへの理解は簡単ではありませんし、理解したつもりにならないことです。しかし、理解しようと最後まで思い続けることが大切です。
認知症の方が、「今、どのような世界に生きているのか(アイデンティティ)」と他の仲間と想像することが大切です。
情報収集が重要だとされています。
しかし、事実を知ることよりも、「ご本人が生きている世界」を知ろうとすることの方が大切だと思います。そのために、ご本人が話しやすい環境で、ご本人と直接話を聴く機会をもつことが求められます。
くつろぎ(やすらぎ)
「怒りっぽくなったのは、認知症が進行したせい」と思われる方がいるかと思います。
しかし、実際には身体の不調を、上手く伝えられず、そのメッセージとして怒っていたというケースは沢山あります。
声なき声に耳を傾けていくことが、やすらぎにつながると思います。
平等とは何か
「わたしたちが思う普通」と「ご本人の普通」はいつも合致するものではありません。
平等は、単純に「同じものを提供する」ことでもありません。個人個人にあったケアを提供することが、平等であると思います。
「どんな人にも同じものを提供する」ということは、個別の生活リズム、嗜好、認知障害の程度を考慮しないことになります。
自動車免許証の返納についても、「平等」ではないと思います。
アルツハイマー型認知症の診断と、自動車の運転能力を失うことは同じではありません。
症状が初期だとしても、認知症の診断があると、免許証の返納を求められます。
そもそも、対象を高齢者に限定しているだけでも、平等ではありません。
自動車事故を減らす目的なのであれば、年齢に関係なく運転能力を評価する検査をするべきではないでしょうか。
愛について
パーソンセンタードケの中心には愛があります。
最重度になった認知症の方でも、「受け身の愛情」を求めるだけでなく、最期の最後まで能動的に愛を表現されます。「愛」のために、行動する気持ちは決してなくなることはありません。
まとめ
パーソンセンタードケの大前提として、
「認知症と共に生きる人たちとの人間関係を築く」
というものがあります。
「認知症の方中心のケア」。これが間違っている訳ではないと思います。
しかし、認知症の方だけでなく、ご家族、介護職、看護師、認知症の方に関わる全ての人が、「一人の人と尊重されること」が認知症ケアに求められます。
そういった環境、人間関係の中心に「愛」があるのです。
参考文献 私が学んできた認知症ケアは間違っていました | 水野 裕 |本 | 通販 | Amazon
この本の感想文です。