七難八苦の人生。「自分らしさ」が、生きていく力になる。 「私が考える『心の苦しみを救う』ということ。それは、『自分らしく生きることに力を添える』ということです。」 「社会で一番保障されなければならないのは『自分らしく、自分の人生を生きる』ということです。」 「みなさんに『自分らしく生きて欲しい』と強く願っています。そしてそのために、みなさんの『自分らしさをもって生きていく』力になりたいと強く思っています。」
「自分らしさ」が、心の苦しみを救う。 認知症ケア専門型ケアマネジャーとして活動してきた私が、がんやメンタル疾患を経験し、辿り着いた答え。それは「自分らしく生きること」が心を救うという確信でした。誰もが自分らしく生きられる社会をつくるために、「自分らしさ専門相談員」として新たな一歩を踏み出します。
「誰も傷つけない」ということ。 映画『父と僕の終わらない歌』を観ました。 認知症になっても、「想い」は消えない。 顔や名前を忘れても、大切な人への気持ちは心に残る。 そして、「誰も傷つけない」という約束が、一人の挑戦を支えました。 認知症というラベルを超えて、 私たちは皆、一人の「人」として生きている。 人と人とのつながりに、終わりはありません。
対人援助職としてのエゴとは。 先日参加したランチ会で心に残った「エゴ」という言葉。 対人援助職として20年以上歩んできた自分の信念やビジョン、 そして「想い」までもが、エゴなのかもしれないと感じたとき、 私はその意味を深く見つめ直しました。 学びを胸にしまいながらも、エゴを手放し、人と人として向き合う。 それが私の考える、本当の専門職のあり方です。
“障がい者”はいない。社会がつくった“障害”があるだけ 私は双極性障害を持つ当事者です。 でも、障がいがあるからといって不幸だとは思っていません。 生きづらさは、障がいの有無にかかわらず、誰にでも存在します。 本当に障害になるのは、「社会がつくり出した枠組み」なのかもしれません。 今回のブログでは、“障がい者”という言葉に違和感を抱きながら、「人としての営み」について考えました。
『The Crisis』~どうしても伝えたかった想い~ 20年ぶりに弾いたピアノ。 ミスタッチだらけでも、想いを込めた演奏でした。 私がどうしても伝えたかった、生きづらさの中の“心の表現”を綴りました。
働かなくてもいい。でも私は働く道を選んだ理由 制度の狭間で苦しんだ末に、私は「働く」という選択肢を選びました。 資格ではなく、人の心を救う力がほしくて。 社会保障制度の壁と向き合った経験から、私の想いを綴りました。
専門性は横に置いておきたい。 「支援」という言葉を交わした、柚子さんとの対話。 専門性を学びながらも、あえて横に置いて「人と人」として向き合いたいという想いを綴りました。 心が軽くなる関わりとは何かを、あらためて考えた日です。
人生の再スタートへ。退職・傷病手当・失業給付・生活保護…生きづらさと共に生きる私が選んだ道 傷病手当金や失業給付を頼りに退職した私が直面した、制度の落とし穴。生きづらさを抱えながら、それでも再スタートを選んだ体験を綴りました。制度を使いながら、自分の人生を歩もうとしている方に届けたい記事です。