手術をすれば、後は楽だと思っていた

投稿者: | 2026年7月23日

今日は、
2026年7月23日。

再発していないかを知る日。

2年前、
胃がんになり、
無事手術を終えました。

「無事」終えたのは、
手術だけでした。

2024年6月。
急に、
食べ物が胃に入らなくなりました。

胃カメラ検査をしたら、
「すぐに大きな病院へ行くように」と、
紹介状をもらいました。

その時、
90%くらいは「ガンなんだな」
と思っていました。

その「大きな病院」での受診。

医師は躊躇なく、

「胃がんです」
と。

診察を終えて、
「やっぱりか」
と思いましたが、

涙は止まりませんでした。

でも、
その涙は1日で枯れました。

翌日から、
大切な人に直接会って、
報告するようにしました。

同時に、
その時から起業を考えていたので、
鴨頭喜人さんのコミュニティに入会し、
ビジネスを学び始めました。

かなり楽観的に、
「ガン」というものを
捉えていました。

「胃がん」について、
詳しく調べることもありませんでした。

それでも、手術当日は、
さすがに不安になりました。

でも、そんな不安は、
「とんでもなく小さな石ころだった」と、
思い知らされることになります。

手術を終えて、
目が覚めた瞬間から、

地獄のような日々が、
待っていたのです。

真夏で、
ただでさえ暑いのに、
一番エアコンの効かない病室。

常に酸素マスクをしていて、
余計に暑い。

水も飲んではいけない。

胃の3分の2を切除しただけなのに、
身体を動かすことが、ほとんどできない。

食道も切ったので、
痰がらみも酷く、

1時間に1回…
私の感覚では、
30分に1回の頻度で、
吸引。

吸引は、
してもらったら、してもらったで、

しなければ、しなかったで、

息が苦しい。
とんでもなく。

とにかく、
痰を自分で出せるようにならないと、
水を飲むこともできない。

何より、
地獄のような吸引を、
続けなければいけない。

「痰を自力で出す」

これは、
わたしにとっては、
とても難しいことでした。

そもそも、入院前も、
痰を出すことが苦手でした。

また、私は、
メンタル疾患の薬を内服していたのですが、
それもできないため(点滴に少し含まれていましたが)
離脱症状も出ていました。

離脱症状のせいか、
それとも、
器質的に身体がショックを受けたせいか
わかりませんが、

現実なのか、
空想の世界なのか。

その狭間の世界に、
いました。

日に日に、
「退院できるのか」
「これから生きていけるのか」

生きていけるとしても、
「普通に生活していけるのか」

現実も事実もわからない世界の中で、
絶望していました。

しかし、
空想の世界の物語の途中、
痰を吐くコツを身につけました。

それが、
現実でもできるようになりました。

水が飲めるようになり、
メンタル疾患の薬も飲めるようになって、

一気に回復して、
退院できました。

「これで、もう大丈夫」

そう思いました。

でも、
その「大丈夫」は、

その時だけの
感情でした。

退院してから、
犬の散歩も満足にできない。

食事もままならない。

仕事もできない。

その時の妻の、
協力も得られない。

抗がん剤治療も始まり、
吐き気で余計食べられず、

体重は16kg落ちて、
抗がん剤治療中止。

医師が、
「就労不能の診断書は書けない」
ということで、

傷病手当打ち切り。

雇用保険ギリギリのパートで働くも、
それすら務まらない。

自分がDVを受けていたことに、
10か月ほど経って気づき、

無理してフルタイムで働いて、
限界を迎えて帰ってきた翌日に、

実家に逃げてきました。

心身ともにボロボロでした。

歩くこともままならない。

低血糖ではない低血糖症状が頻発して、
意識が遠のきそうになる。

毎日熱が出て、
一日の中で変動する。

経済的にも困窮。
それなのに、セーフティーネットのはずの、
生活保護すら受けられない。

それでも、
諦めなかったことがあります。

私が、

どうしても、
どうしても、
叶えたいことがあったからです。

それは、

「自分らしく、自分の人生を生きることを保障する社会を創る」
ということです。

暗く長いトンネルの出口が、
見えているのに、
果てしなく遠い日々。

でも、
ここ2か月。

熱もでないし、
低血糖症状もでない。

挙げようと思えば、
いくらでも課題はあるけれど、

私の人生の豊かさは、
ちゃんと在ります。

希望の灯は、
ちゃんと在ります。

今日、
CTの結果を聞きに病院へ。

車で、
病院まで運転している時、

今までのことが蘇って、
涙が止まりませんでした。

診察では、
あの時と同じように、

あっさりと
「再発していない。大丈夫」
と医師から告げられました。

家に帰って、
自家製の梅干を、ベランダで作っていた両親に、
「再発していなかったよ」


梅を干しながら、
「よかったねー、ゆっけ」

嬉しかった。

でも、
苦しくて、
切なくて、
悲しくて、
寂しい感情も、

同時に溢れかえりました。

私は、
これからも、
この創痍(そうい:傷)と共に、
歩んでいきます。

なぜなら、それは、
私が「精一杯生きてきた証」
だからです。


これまでの経験をもとに、あなたが、
「自分らしく、自分の選択で、自分の人生を生きていくこと」
を応援するために、1冊の本にしました。
多くの人に届くことを願っています。

著書:ちゃんと苦しんできた、あなたへ‐「誰も悪くない」という真理