誰もが揺るぎない「一人の人」である―ありのままのあなたが素晴らしいということ―

投稿者: | 2026年6月7日

私は以前から、
「福祉」
「障がい」
「多様性」
という言葉の使われ方に違和感を持っています。

この言葉や、
言葉のイメージが、

知らぬ間に、
私たちのこころの靄(もや)を
生んでいるのではないかと考えているからです。


「障がい」という言葉への違和感

「障がい者」という言葉で、
人を一括りにしてしまうことに違和感があります。

もちろん制度上、
必要な場面はあります。

しかし、
その人の困りごとは一人ひとり違います。

必要なのは、

「障がい者だから配慮する」

ことではなく、

「その人は何に困っているのか」

を理解することを諦めずに、
その困りごと一つひとつに対して、
合理的配慮を行うことではないでしょうか。

その積み重ねが、
結果として、
誰もが暮らしやすい街づくりにつながるのだと思います。


「福祉」という言葉への違和感

私は、
「困った人への社会福祉」

ではなく、

「すべての人への社会福祉」
という考えを持っています。

一般的に福祉というと、

  • 高齢者福祉
  • 障がい者福祉
  • 児童福祉
  • 生活困窮者支援

などをイメージする人が多いかもしれません。

しかし、
私が考える福祉は少し違います。

誰もが、
「自分らしく、自分の選択で、自分の人生を生きること」
を支える社会基盤。

それが福祉だと思っています。

福祉は、
特定の誰かのためだけにあるものではありません。

私たち一人ひとり、
誰一人としてこぼれることのない、
人生を支える土台として在るものなのです。


誰もが絶対的個である

私が大切にしている考えの一つに、

「誰もが絶対的個である」

というものがあります。

認知症の人だから。
障がいのある人だから。
支援者だから。
家族だから。

そういった属性は関係なく、
誰もが価値ある一人の人です。

人は「人」であって、
それ以上でも、
それ以下でもありません。

まず、
その人を見る。

その人自身を見る。

そこから関係性は始まるのだと思います。


ケアシェアラーという考え方

私は、
専門雑誌『達人ケアマネ』への寄稿文の中で、

「ケアシェアラー」

という考え方について書きました。

ケアシェアラーとは、
ケアの哲学と技術である、
「ユマニチュード」の文脈で、
使われている考え方です。

このケアシェアラーについて、
私独自の解釈と展開をしています。

支援する人がいる。
支援を受ける人がいる。

確かにその関係性は存在します。

しかし、
その前にどちらも一人の人間であり、
絶対的個です。

固定された「支援者」と「被支援者」ではなく、
個人と個人が出会い、
関わり合う関係性。

私はその関係性を、
私なりにケアシェアラーとして捉えています。

支援は上から下へ流れるものではありません。

人と人との間で、
共有されるものだと思っています。

ケアする人とケアを受ける人が、それぞれ一人の人として存在しながら、ケアを共有する領域を示した図

「多様性」という言葉への違和感

私は、
「多様性」という言葉にも違和感を持っています。

もちろん、
人が多様であることは事実です。

しかし現在の社会では、

「多様性を認めよう」
「多様性を受け入れよう」

という価値観まで含めて
語られることが少なくありません。

行政や企業、教育やメディアなどを通じて、
それが一つの正しさとして発信される場面もあります。

しかし私は、

「認めなければならない」
「受け入れなければならない」

という空気が生まれることに、
危うさを感じています。

それは、
場合によっては、
社会一般的な常識による、
外的コントロールになり得るからです。

本音を言えなくなる人がいる。
苦しくなる人がいる。
生きづらくなる人がいる。

それは、
本当にインクルーシブと言えるのでしょうか。

私はそう問い続けています。


誰もがありのままで素晴らしい

私が、
これからずっと、
伝え続けていきたい想いがあります。

それは、

「誰もがありのままで素晴らしい」

ということです。

認知症の人も。
障がいのある人も。
精神疾患のある人も。

働いている人も。
働けない人も。

誰からも
認められる必要はありません。

誰からも
受け入れられる必要もありません。

すべての人と
交わらなければならないわけでもありません。

それでも、
その人はその人として存在しています。

ありのままの自分に、
不足感や、
劣等感を感じる方もいるかもしれません。

でも、
その不足感や劣等感を感じる元となる自分に、
許可を出して欲しいのです。

どんな自分にも許可を出せたとき、
ありのままの自分の素晴らしさに、
気づくことができます。

それは、
自分を変えることではありません。

ありのままの自分を、
取り戻していくプロセスです。

だから、
もうすでに、
あなたはありのままで素晴らしい。

私はそう考えています。


私が目指している社会

私のビジョンは、

「自分らしく、自分の選択で、自分の人生を生きることを保障する社会を創る」

ことです。

認知症支援も。
障がい福祉も。
メンタルヘルスも。
対話も。
自己表現も。

すべては、
このビジョンにつながっています。

私は安曇野を、
自己表現に開かれた街にするためにも、
活動しています。

公園で気軽に歌える。
絵を描ける。

表現できる。
挑戦できる。

自分らしく存在できる。

安曇野をそんな街にする。

それを、
安曇野から、
ボトムアップで全国に広げていきたい。

また、
Alpinidプロジェクトにも参加しています。

グループホーム等の立ち上げ支援。
福祉制度の活用支援。
DAIGOブランドの事業化。

それから、
農福連携や地域とのつながりづくり。

私にできる形で、
関わらせていただきたい。

ただ、
あくまでも私のゴールは、

「自分らしく、自分の選択で、自分の人生を生きることを保障する社会を創る」

ということです。


おわりに

認知症だから。
障がいがあるから。
精神疾患があるから。

こうした属性をもとに、
法律や制度がつくられる。

必要なことでもありますが、
その中で生きていかなければならない苦しさも、
同時に存在していると感じています。

私はこれからも、
誰もが「絶対的個」であるということ。

そして、
人と人との関係性は、

この絶対的個の揺らぎという感情で
成り立っているということ。

だからこそ、
感情という人間らしさを抑えるのではなく、
その揺らぎの中で生きていく。

そんな、
人と人との営みを大切にしていきたい。

そして、

誰もが
「ありのままで素晴らしい」

誰もが
「自分らしく、自分の選択で、自分の人生を生きることができる」

これを保障する社会の実現に向けて、
今この瞬間にできる最善の選択を、
続けていきます。

私は、

誰もが、
いつでも、
最善の選択をしているということを、
尊重しています。


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