■ 「是も非も是」という言葉の誤解
「是も非も是」
この言葉は、一見すると
「すべてを受け容れる優しさ」
のように感じられるかもしれません。
しかし実際には、
覚悟のいる在り方だと私は考えています。
■ 前提:「是は是、非は非」
まず大切なのは、
是は是として、
非は非として捉えることです。
自分にとって大切な人や価値観は受け容れる。
一方で、
分かり合えない人や違う価値観も、
そのまま「在るもの」として受け止める。
ここを曖昧にしてしまうと、
「是も非も是」は、
「すべてを受け容れる」という
捉え方になってしまうのではないかと思うのです。
また、
問題は問題として存在しているし、
違和感は違和感として確かにある。
それを無理に正しさとする必要も、
正当化する必要もありません。
ただ、常識という「正しさ」で判断すると
自分も相手も、心にしんどさを抱えてしまうことがあります。
■ 「是も非も是」とは何か
では、「是も非も是」とは何か。
それは、
是も非も含めて、
そのまま引き受けるという在り方です。
人は、
理解できるものを「正しい」とし、
理解できないものを「間違い」として
切り捨てたくなります。
その方が楽だからです。
しかしその瞬間に、
見える世界は、とても小さく、単純で狭いものになってしまいます。
「是も非も是」とは、
今自分が見ている世界が、すべてではないという姿勢でもあります。
つまりは、
どんな人も、価値観も、
違いはあっても間違いはないということを
自分の内側で「許可」するということです。
■ 善悪で片付けないという覚悟
正しいか、間違っているか。
善か、悪か。
その二項対立で世界を見ることは、
確かにわかりやすいものです。
しかし、
それだけでは捉えきれないものが確実にあります。
人の行動には、
・背景があり
・関係性があり
・その人なりの物語があります
それらを無視して、
「正しい」「間違っている」と切り分けることは、
その人自身を、
否定したり批判してしまうことにもつながります。
見方を変えると、
早く答えを出す。
または、
その場しのぎのわかりやすい答えで、
前に進んでいく。
とも捉えられます。
「是も非も是」は、
答えのない、曖昧で、不確実で、不安もある状況に留まるということです。
その先に、本質的な答えがあるのではないかと思うのです。
その本質を求め続けていくことでもあります。
■ 自分の中の「非」と向き合う
この考え方は、
他人に対してだけのものではありません。
自分の中にも、
是と非は共に存在しています。
自分の価値観を正しさとして残して、
自分自身がネガティブに捉えているものは切り捨てようとすると、
人はどこかで苦しくなります。
だからこそ、
自分の中の「非」も含めて引き受けること。
それは、一般的に言われている自己肯定とは少し違います。
「ありのままの自分を、そのまま認める」
という在り方です。
自己肯定感はすでに「在る」のです。
「非」によって、見えなくなっているだけです。
だから、是も非も引き受けることができたら、
そこにはもう自己肯定感が在ります。
自己肯定感は高めるものではないと、私は考えています。
自分を認めることで、気づく自分の価値です。
そして、価値のない人は一人としていません。
■ まとめ
是は是。
非は非。
その上で、
それでもなお、
切り離さずに許可を出す。
「是も非も是」とは、
確かに今「在る」世界の、
複雑さをそのまま引き受ける
覚悟の在り方なのだと思います。
「覚悟」というと、
身構えてしまうかもしれません。
私が伝えたいのは
「私は私でいいんだ」という、
ありのままの自分に許可を出して生きていく、
ということです。
そこには、
「あなたらしさ」が、
「自分らしさ」があります。
もしここまで読んで、
何か感じるものがあった方へ。
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