人はなぜ人を求めるのか ―創痍と共に歩み続けるということ― 人はなぜ人を求めるのでしょうか。 私は長年、認知症ケアや精神保健福祉の現場、そして自らの病や喪失の経験を通して、「創痍(そうい)」という言葉を大切にしてきました。 創痍とは、単なる心の傷ではありません。 傷つき、物語を失い、それでもなお残り続ける「生きたい」「つながりたい」という願い。 私は、それを「ゾーエの混沌」として捉えています。 人はなぜ人を求めるのか。 創痍と共に歩み続けるということについて、私なりの考えを書きました。
誰もが揺るぎない「一人の人」である―ありのままのあなたが素晴らしいということ― 私は以前から、「福祉」「障がい」「多様性」という言葉の使われ方に違和感を持っています。 認知症だから。障がいがあるから。支援者だから。家族だから。 そうした属性の前に、誰もが揺るぎない「一人の人」です。 「絶対的個」「ケアシェアラー」という考え方を通して、私が大切にしている人間観と、目指している社会について書きました。
“まだ頑張れる”と思ってしまう人へ―それはあなたを守ってきたもの― 「まだ頑張れる」 そうやって、自分のしんどさを後回しにしていませんか。 頑張れる人ほど、「助けて」と言えず、静かに耐え続けてしまうことがあります。 そのしんどさは弱さではなく、誰かを大切にしてきた誠実さなのかもしれません。 「変わらなくてもいい」という視点から、“頑張り続けてしまう苦しさ”について書きました。
すべては一人のために、その一人のために、すべてがある―All for one, for all one.― 無理に、 相手を受け容れなくていい。 「一緒」じゃなくていい。 人は、 それぞれ違う「絶対的個」。 それでも、 人と人との営みは存在している。 All for one, for all one.
映画『許されざる者』を見て 「真実は正しさじゃない。 正しさが真実じゃない。」 映画『許されざる者』を見て、 空を飛ぶ鳥のシーンが、 ずっと頭から離れませんでした。 人は矛盾している。 でも、 その矛盾もまた、 その人の真実なのかもしれません。 短いですが、 今感じていることを書きました。
「どうやって生きていけばいいのか」と問い続けた先にあったもの~「こころ日和」に込めた想い~ こころ日和とは、どんなこころ模様も否定しないという在り方です。私は「誰もが創痍を持って生きている」と考えています。だからこそ、「誰も悪くない」と思える余白の中で、対話を重ねていくことが大切だと考えています。
更年期の心の不調に悩むあなたへ|我慢しないで、「感じきる」という選択 更年期の心の不調は、ホルモンバランスや環境の変化が重なって起こる自然な反応です。こころのしんどさを我慢している自分を認め、辛い感情を「感じきる」ことで、こころは少しずつ整っていきます。認知症ケアの視点も交えながら、無理のない向き合い方を解説します。
自分らしさがわからないとき―心のしんどさで崩れても「再統合」していくという考え方 自分らしさがわからなくなるとき、 それは心の中で何かが崩れている感覚かもしれません。 そのしんどさの中で起きる変化と、 自分をひとつにしていくプロセスについてお伝えします。
40代・50代で増える心の不調―責任と喪失感の中で「自分に戻る」ために 40代・50代は、責任や喪失が重なり、心のしんどさを感じやすい時期です。「年齢のせい」にせず、その感覚に気づき、許可を出すこと。「在る」自分に戻るためのプロセスをお伝えします。
なぜか満たされない・人と比べて苦しい…その心のしんどさを軽くする考え方 なぜか満たされない。人と比べて苦しい。 そのしんどさの正体は「ないもの」を追い続ける思考にあります。 「在る」という視点に戻ることで、心は少しずつ軽くなっていきます。