認知症になっても、あなたの人生を生きることはできる―世界アルツハイマーデーに考えたいこと

投稿者: | 2026年9月21日

今日、
9月21日は「世界アルツハイマーデー」です。

世界アルツハイマーデーは、
認知症への理解を深め、
認知症をめぐる偏見や差別をなくしていくための日です。

2026年の世界アルツハイマー月間では、

「The Earlier You Know, The More You Can Do: A Dementia Diagnosis Matters.」

というテーマが掲げられています。

早く知ることで、できることが増える。

認知症の早期診断について考えることが、
今年の大きなテーマとなっています。

私はこれまで、
認知症をもつ方、そのご家族と関わってきました。

その中で、
ずっと大切にしてきたことがあります。

それは、

認知症をもっていても、その人らしく生きることはできる

ということです。

そのためにも、
認知症に対するネガティブなフレームを、
一度外して、掛けなおす必要があると考えています。

認知症は「失われていく病」なのか

「認知症」と聞いたとき、

何も分からなくなる。
自分のことも、家族のことも分からなくなる。
できていたことが、どんどんできなくなっていく。

そんなイメージを持つ方が
多いように感じます。

確かに、
認知症によって、
記憶や判断などの
認知機能に変化が生じることがあります。

できなくなることもあります。
忘れてしまうこともあります。

でも、
ご本人は、自分の変化に気づいています。

そして、

すべてが失われていくわけではありません。

私は、認知症を、

「失われていく病」ではなく、

「残るものがある病」

として捉えてきました。

言葉でうまく伝えることが難しくなっても、

嬉しい。
悲しい。
怖い。
安心する。

そうした感情まで、
なくなるわけではありません。

感情は、
比較的最期まで残り続けます。

記憶さえも、
周りが「覚えていないだろう」と
感じていることを、

しっかりと覚えていることもあります。

そして、

その人が生きてきた人生も、

大切にしてきた価値観も、

誰かを愛したことも、

誰かから愛されたことも、

その人の中から、
すべて消えてしまうわけではありません。

「認知症の人」になるのではない

それまで「一人の人」として見られていた方が、
認知症と診断された瞬間から、

「認知症の人」

として見られるようになることがあります。

でも、
その瞬間から、

何もかも忘れてしまうわけでも、
何もできなくなるわけでも、
何もわからなくなるわけでもありません。

そのことを知らない方も、
多いように感じます。

ただ、それは、
そのように思う方の問題でも責任でもありません。

そういったフレームが、
社会の常識に、
ほどくことが難しいように、
強く括り付けられていることが問題なのです。

だから、
「認知症の人」とラベリングされたその日から、

これを任せたら危ないから。
どうせ分からないから。
失敗したら困るから。

そうやって、周囲が先回りして、
ご本人の選択を、
少しずつ奪ってしまうことがあります。

もちろん、
安全を守ることが必要な場面もあります。
不必要な失敗体験を避ける必要もあります。

それでも、

その人の主体性を尊重する。

何を食べたいのか。
どんな服を着たいのか。
どこへ行きたいのか。
誰と一緒にいたいのか。
どのように暮らしたいのか。

どんな選択をして、
どんな人生を生きていきたいのか。

人は誰しもが、人生の中で、

自分で選択して、
自分の人生を生きていく権利があります。

認知症があるからといって、
それを簡単に奪うようなことがあってはならないと、
私は強く思います。

中心にあるのは「認知症」ではなく「すべての人」

私は、
パーソン・センタード・ケアという考え方を
大切にしてきました。

その人がもつ「認知症」に焦点を当てるのではなく、

あくまでも一人の人であるということ。

そして、
認知症をもつ人だけが中心ではないということ。

障がいをもつ人、
病気のある人、
支援する人、

もちろん、ご家族も。

そして、
私も、
あなたも。

それぞれの人生があります。

自分の人生を生きていい。

本来、
それが当たり前に保障される必要が
あるのではないでしょうか。

だから私は、

「中心にあるのは認知症をもつ人」
ではなく、

中心にあるのは、

「すべての人」

なのだと考えています。

ケアがいつも「正しい」とは限らない

ケアの現場では、

「この人のために」

という言葉が使われます。

とても大切な言葉です。

でも私は、この言葉を使うときほど、
一度立ち止まって考える必要があると思います。

なだめる
気をそらす
説得する
指摘する

このようなことが、ケアの現場で、
無意識に行われていることがあります。

そのケアは、誰のためなのか。

自分のためのケアになっていないだろうか。

「あなたのためだから」
という言葉が、

ケアの正しさのように変わって、

ご本人の意思や選択を、
奪う言葉になる場合があるのです。

私たちは、
相手を100%理解することはできません。

専門職、
友人、
家族だとしても。

だからこそ、

分かったつもりにならない。
自分の正しさを押しつけない。

相手を、
自分の思う方向へコントロールしようとしない。

そして、

その人が見ている世界と同じフェーズで寄り添う。

私は、そこから支援が始まるのだと思っています。

「早く知る」ことは、人生を諦めるためではない

今年の世界アルツハイマー月間では、
早期診断の重要性が取り上げられています。

ADIは、
診断によって治療やケア、
さまざまな支援につながる可能性が
広がることを伝えています。

これらが意味するのは、

自分の人生について、
自分で考え、
自分で選択するための時間を持つこと

でもあると、私は考えています

どこで誰と暮らしたいのか。
何を一番大切にしていきたいのか。

自分の人生を、どのように生きていきたいのか。

認知症と診断されることは、

その人の人生に、
大きな不安をもたらすことがあります。

だからこそ、

診断をして終わりではなく、
その不安に寄り添う時間と人が必要なのだと思います。

そして、たとえ認知症と診断されても、
「人生終わりだ」と思わないために、

認知症について知る必要があります。

「知る」ということが、不安を軽くするのです。

忘れても、残るものがある

以前、私は認知症ケアについて、

「良い感情記憶」が残ることの大切さを書きました。

話した内容を忘れてしまったとしても、

一緒に笑ったこと。
優しくされたこと。
大切にされたこと。
安心できたこと。

そのとき感じたことは、
記憶されていることが多いのです。

だから、

その人の感情のそばで、

「自分はどのように在ったのか」

が大切なのだと思います。

ケアする人。
ケアされる人。

その関係だけではなく、

人と人として、共に在る。

私はこれを、

「being with(共に在ること)」

として大切にしています。

認知症になっても、人生は続いていく

私たちは、
認知症にならないためだけに
生きているわけではありません。

人は誰でも、
老いていきます。

病気になることがあります。

できなくなることもあります。

それでも、

人としての価値が
失われるわけではありません。

自分らしく生きる権利が、
なくなるわけでもありません。

認知症になっても、

あなたの人生は、あなたのものです。

忘れることが増えても。
できないことが増えても。
誰かの支えが必要になっても。

あなたは、あなたの人生を生きることができる。

私は、

「自分らしく、自分の選択で、自分の人生を生きることを保障する社会を創る」

というビジョンを掲げて活動しています。

これは、

認知症のある人、
障がいのある人、
病気のある人、

そして、
今この記事を読んでいるあなたにも、

伝え続けていくメッセージです。

常識や誰かの「正しさ」によって、
こころがコントロールされることなく、

適切な依存先を持ちながら、

自分の人生を生きていく。

世界アルツハイマーデーという日に、
認知症について考えることは、

決して、
『「誰か」の問題について考えること』ではない
と思います。

人は、
どんな状況、状態になっても、
その人らしく生きていい。

これが、当然である社会になった時、
今在る認知症に対するフレームは、
外れているのではないかと思うのです。

温かなフレームに変わっているのだと
思うのです。

今日という日が、
そのための出発点になることを、

心の底から願っています。


認知症について、もっと知りたい方へ

私がお世話になっている、おやのめぐみさんの新刊
『10歳からのみらい読本 認知症の世界―脳と記憶のふしぎと、その先にあるもの』が
9月25日に刊行されます。

子どもから大人まで、
認知症について知り、
考えることのできる一冊です。

今日という日に、
認知症について知るきっかけの一つとして、
ぜひ手に取ってみてください。

書籍について、詳しくはこちらから。
『10歳からのみらい読本 認知症の世界―脳と記憶のふしぎと、その先にあるもの』


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