私が「心の平穏を届ける」ために必要なのは、心理学ではなく、人を支える制度の架け橋となるための社会保障制度のスペシャリストである理由

投稿者: | 2025年5月18日

今日、社会保険労務士国家試験の願書を出しました。国家試験は、今年(2025年)8月24日です。合格率は6~7%と言われています。常識的に考えれば無謀な挑戦です。
でも、「常識的に考えれば」の話です。

私がこれから人生をかけて取り組んでいくことは、「人の心の苦しみを救う」ということです。
今まで、認知症の方がその人らしく生きることができる社会を作るために活動してきました。

しかし、18歳にメンタル疾患になりずっと「心」と向き合ってきたこと。
去年(令和6年)胃がんになり、生きるということと向き合ってきたこと。

改めて自分と向き合い、病気や障がいにかかわらず、あくまでも「人と人との営み」として、「人の心を救いたい」と思ったのです。

そして、私には得意なことがあります。それは音楽です。上手いかどうかは別として、作詞作曲をして想いを届けようと歌ってきました。

認知症の専門性は継続して活かし、メンタル疾患、ガンの当事者としての視点を持ち、時に音楽という形で、「心の平穏を届ける」ことを使命としています。

「心を救う」のであれば、心理学を勉強する必要があると思い、本を読んでいました。NLP心理学の資格も取るつもりでした。

しかし、私にとって、私の心の救い方として、今学ぶ必要があるのは、精通した社会保障制度の知識とその制度をどうやって通していくかというスキルです。

そのために社会保険労務士の資格を取ろうと思い調べたら、願書の締め切りは5月末。試験は8月末。
タイミングはばっちりだと思いました。そして、即受験することを決意したのです。3か月後の国家試験を受験することを。

わたしは、大学を卒業してから就職しましたが、メンタル疾患の影響で、20年以上まともに働くことができない日々が続きました。常に経済的不安を抱えながら生きていました。
経済的不安というものはとても大きなものです。とても大きな不安です。
なぜなら、お金がなければ生きていけないからです。
お金が全てではないし、お金があれば幸せだとも思いません。
でも、最低限のお金がなければ生きていけません。
当たり前のことを言っているようですが、それにずっと直面してきた当事者として、とても辛く悲しい現実です。

ガンになってからも、ずっと経済的な問題に悩まされてきました。
退院して、傷病手当金(「就労不能」となり、休職した時に、働いていた時の給料の約3分の2が支給される制度【ものすごくザックリ説明すると】)を2か月分受給することができました。
しかし、主治医に「就労不能の診断書は書けない」と急に言われてしまいました。
私は、仕事内容を伝え、試しに働いたが10分も立っていられなかったことなど説明しましたが、「公的な文書なので嘘は書けない」の一点張りで、診断書を書いていただけませんでした。
諦めず、病院のソーシャルワーカーさんに相談しましたが、主治医からの回答は「1か月分だけなら書く」という到底納得のいく内容ではありませんでした。

就労不能の診断書がないがために、休職することもできず退職を余儀なくされました。
そして、働けない身体で、失業給付を受けてハローワークに通うことで、生活していくしか選択肢はなくなりました。

体力的にも雇用保険に入れるギリギリの時間だけ、パートで働くことが精一杯。でも、パートで働くなら、早く就職を決めて、最大限に再就職手当を受給して生活することが最前と判断し、働くことにしました。

体重が16㎏落ちた身体の体力を戻すことは容易ではありません。しかし、再就職手当も底をつき、フルタイムで働くしかありませんでした。
私はケアマネジャーですが、ほぼ介護職の仕事をしていました。どんなに捕食(胃を切除して、1回に十分な量を食べられないので、一日に6回ほど小分けにして食べる必要があります)をしても、15時くらいになれば、エネルギー不足で低血糖になります。いくらブドウ糖をなめても回復しません。低血糖になると、メンタルもガタ落ちします。その状況の中で働き続けなければなりませんでした。
1か月間、死ぬ思いで働きました。
そして、今力尽きて、体調が悪化して休職することになりました。

ここで、すんなり傷病手当金を再申請できれば良いのですが、去年「就労不能の診断書は書けない」という主治医の言葉が頭をよぎりました。不信感で一杯で、別の先生に診断書を書いていただこうと計画しました。

まず、協会けんぽに連絡して、そういった手順での申請でもよいか確認を取りました。次に、知人から紹介を受けていた病院に、診断書が書けるか確認を取りました。そして、いざ受診をしましたが、その病院の先生に相談すると「その手伝いはしない」と一言だけ残して去っていきました。
私は呆然としてしばらく動けませんでした。
諦めず、以前お世話になっていた病院に行きましたが、結果は同じでした。

そして現状。次の病院を探し、その病院のソーシャルワーカーさんと相談。そして、がん相談支援センターの方に協力して頂き、主治医に早急に診療情報提供書を書いてもらえるよう依頼して、了承を得た段階です。そして、次の病院に受診します。ただ、そこで診断書を書いていただけるかは未だ不明です。

新規で傷病手当金を申請してもいいのですが、フルタイムで働いたのは1か月間だけであとはパートだったため、その状態で申請しても生活できるほどの金額を受給できません。
私がこれから生きていくために残された選択は、再申請をして、前職の給与基準での受給をすることです。

今そのために必死に動いています。

社会保障制度を知っているか否かは、生きるか死ぬかにかかわります。大袈裟な話ではありません。
そして、心の負担はとてつもなく大きいことを身を持って知りました。

だから、いくら無謀でも、「人を制度で救う」専門家である社会保険労務士になります。いや、無謀だと思っていません。必ず合格すると思っています。
しかし、今の身体の状態では十分に勉強はできません。
だから、今月末までに何とか体調を整える最善の努力をして、6月から勉強を始めます。試験までの勉強の計画も立てました。
あとは淡々と勉強するのみです。自分を信じて。自分の信念を持ち続けながら。