100%を求めないケアが、心を軽くする理由

投稿者: | 2024年11月18日

今のAIに100%を求めてはいけません。統計的、確率論的に判断しているからです。
だから、自分の判断や、理解力、そして想像力が求められると思います。

これは、認知症ケアにおいても必要ではないでしょうか

2つの選択肢があると思います。
A.100%の正しさを求める
・施設管理者が、職員に対して100%を求めて指導する。
・利用者さんに正しい行動を求めて指導する。

B.だいたい正しければ良い
・利用者さん自身に、判断していただき(意思決定)、行動していただく。
・だいたい正しければ良いという価値観をもって、関わる。
・「想定外」に対処できる。

私はBを選択します。
たとえば、料理を利用者さんとする時です。具材の選び方、野菜の切り方、水の分量、など、「だいたい」合っていれば良いのです。むしろ、間違っても違う料理に変えればよいのです。失敗体験にならないように、声をかけ、フォローしながら行います。そして、何よりも一緒に料理を楽しみます。

この工程には、「選択」すること。野菜をそのように切るか「考える」こと。職員と会話をしながら行い「つながり」「共にあること」「結びつき」「たずさわること」といった、心理的ニーズを満たすこと。
そんなベネフィット(相手にとっての利益や価値)があります。

そして、このような活動は、利用者さんの意欲が向上します。そして、生き生きとした姿を見せてくださいます。その人らしさが輝きます。

100%を求めると、ご家族、そして職員の方も、精神的に苦しくなってしまいます。
「なぜちゃんとできないの?」「なんでそんな風にしちゃうの?」
とイライラが募ってきてしまいます。
そのイライラは利用者さんに伝わり、症状として現れます。

「だいたいできていればいい」「上手くいかないことを楽しむ」
そんなスタンスで関わると、心は軽くなります。利用者さんとお互いにです。

正しさは、時に相手を傷つけるリスクもあります。
たとえば、その方にとっては大変なことだけれど、良かれと思って、お皿が乗ったお盆を、一所懸命に台所に持って行こうとした利用者さんがいるとします。その方に、「危ないから置いておいて!まだ、片づける時間じゃない!」と強い口調で注意したとします。

お盆を落とす危険性がある。まだ、みなさんが食べ終わっておらず、「ごちそうさま」を言っていないこと。このようなことを理由に、ご本人の目的意識を奪ってしまっています。それは、心を傷つけることになると思います。

そもそも、
『お盆を落とす危険性があるから、自分で片づけてはいけない。みんなが食べ終わらなければお盆を下げてはいけない。』
これ自体が正しいことだと思いません。

お盆はをたとえ落としても、良かれと思ってしてくださったことを尊重することの方が大切です。
お盆を落としてしまったら、片づければいいだけです。そして、その方に「大丈夫ですよ」と優しく声をかければよいのです。

皆が食べ終わるまで、お盆を下げてはいけないルールを決める必要もありません。今までの生活習慣は、みなさん違います。利用者さん各々の生活習慣で過ごせることの方が、安心感が生まれます。

「100%を求めない」
これは、認知症の有無に関わらず、多くの人に必要なことではないかと思います。
完璧を求めていると、苦しくなります。イライラもします。「まだまだできる」と自分を追い込んでしまいます。そして、人によってはメンタル疾患になる方もいます。

「だいたい」で生きていく。ストレスフルな今の時代を乗り越える、一つの手段ではないかと思います。


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