ブッダは「本当の自分」に辿り着けなかったそうです。そこで悟ったのは、「無我」→「自分とか、ない」ということです。自分がないのに探していたら、それは苦しいことです。
「無我」とは、自分とは、ただの妄想。この世界はすべてつながっているという意味です。
人は、食べ物を食べて生きています。自分以外のものがあってでできています。
鳥も虫も草も一緒です。
だから、みんなつながっています。
身体はそのように説明できますが、心はどうでしょうか?
「思考」は、湧き上がってきたものの後のこと。
私が好きなグリーンカレーをみて、
これから「グリーンカレー食べたい」と思考しよう!
→「グリーンカレーを食べたい」
という、順序ではないはずです。
では、このわきあがってきた「グリーンカレー食べたい」というのは、誰でしょうか。誰でもありません。
ブッダは、「これが自分」というものは、一つもないと結論づけました。
人生の苦しみ、その原因は「自分」ということです。
変わりゆくこの世界で、変わらない「自分」をつくろうとする。だから苦しいということです。
「認知症」という不安を避けるために、「認知症にならない」という自分をつくろうとする。
その自分が「苦」の原因ということです。
「自分」を全部捨てることができたら、「最上の安楽」ともブッダは言っています。その境地を「ニルヴァーナ(涅槃ーねはん)とよびます。
認知症の方にとっての「無我」とは
認知症の方は、自分の心身の異変を日々感じて生きてらっしゃいます。それでも「自分らしさ」を保とうと、つながりや、たずさわること等求めいるのだと思います。
「本当の自分」がわからなくて、苦しいのかもしれません。そんな苦しさを抱えてらっしゃるのであれば、「そのままでいい。」ということを、お伝えすることが、心の安寧につながるのかもしれないと感じました。変化する自分を否定せず、ありのままの自分を受け入れるということです。それは、自分を苦しめる執着から、自由になるための第一歩となります。
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