共生社会とは、「認知症の方や障害を持つ方と私たちが共に生きる」ではないと思います。
「認知症の方や障害を持つ方と私たちが共に生きる」→これに違和感を感じないでしょうか?
「認知症」あるいは「障がい者」も共に………認知症の方も、障がい者を持つ方も一人の人間です。当たり前のようですが、それではなぜ、健常者と隔たりを作っているのでしょうか。
日本は世界人権宣言に賛成しています。世界人権宣言における共生とは、
第2条「すべての人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生その他の地位など、いかなる種類の差別もなしに、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。」
認知症ケア用語辞典では、
「性別・国籍・年齢など様々な違いのある人々が、相互に支え合いながら、主体的に暮らしていける社会のこと」
「社会参加が困難な環境におかれていた障害者等が、積極的に社会に参加し、貢献していくことが可能となり、人としての個性や人格が尊重される社会である」
このように示されています。
誰もが主体的に生きることが出来る社会。例え障害があっても、積極的にそして主体的に社会に参加し、誰もが、個性や人格が尊重される社会であると述べています。
つまり、「障害者と健常者と、同等に生活することではない」ということです。
これから重要になるキーワードとして、「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」というものがあります。
ソーシャルキャピタル(社会関係資本)とは、人々の間にある信頼や協力、ネットワークのことです。具体的には、次のような要素が含まれます。
- 信頼:お互いに信じられる関係性。例えば、隣人を信頼して助け合うこと。
- ネットワーク:人々がつながっている関係。例えば、友人や同僚とのつながり。
- 協力:共同で何かを成し遂げる力。例えば、地域のイベントをみんなで企画・運営すること。
ソーシャルキャピタルが豊かだと、コミュニティの人々が互いに助け合い、困難を乗り越える力が強くなります。これは、社会全体の幸福や安定にもつながります。
まとめ
「誰もが一人の人間である」ということを、忘れないようにしなければなりません。誰もが、生き生きと自分らしく生きることが出来る社会が、共生社会ではないでしょうか。そのためにも、ソーシャルキャピタルを豊かにすることが、大切になると思います。