「じぶんとか、ないから」で見つけた、認知症ケアに必要な慈悲の心

投稿者: | 2024年12月24日

密教という、空海(くうかい)の哲学をご存知でしょうか。
密教とは、
『この「現実世界」をまるごと肯定してしまうもの』
また、
『「自分」や「世界」というフィクションから抜け出して、「生命の秘密」と一体化しよう』
というものです。

すべてが※「空(くう)」、フィクションであるという哲学は、禅も密教も変わりません。
ただ、密教は、「空」のさらに「奥」をみようとします。
それが、「生命の秘密」です。
これを
「秘密のなかの秘密、悟りの中の悟り」
と、空海は表現しています。

※「空」
「空」で心が軽くなる!『自分とか、ないから』で悩みを手放す – 認知症になっても、その人らしく生きることができる社会を

「なりきる」という力
わたしたちは、想像以上に、「なりきる」力を使って生きています。
「なりきる」ことで、人の器を大きくすることができます。
「なりきる」こそが「自分」を作ります。
「自分」をこえた、大きな「自分」になります。

空海はこれを「大我(たいが)」と呼びました。
ブッダは、※「無我(むが)」と呼びました。自分はフィクションであると。
「自分」がフィクションなら、逆に、どれだけでも大きな存在になれる。
「無我」だからこそ、「大我」になれる、という教えです。

※「無我」
認知症と「無我」の哲学を考える――『じぶんとか、ないから』を読んで – 認知症になっても、その人らしく生きることができる社会を

ブッダの言葉を引用します。
『「おれがいるのだ」という慢心をおさえよ。
これこそ最上の安楽である。』
ブッダは、「自分」がなくなることを、「最上の安楽」と悟りました。
密教は、この「最上の安楽」の秘密を明らかにしました。

欲望をもってもよし!
仏教的には、「お金」、「名誉」などは、全部フィクション。幻であるとされています。
幻をおいもとめると、苦しみが生まれてしまうからです。

密教が「欲」を肯定するわけ
『「欲」をもっと大きな「欲」にしてしまおう』
という「大欲(たいよく)」という悟りがあります。

「お金を沢山得よう」もいいのですが、
「お金を沢山得て、沢山の人を助けよう」
と大きく考えるのです。
すると、大きな自分、「大我」になれます。

「欲」のスケールを大きくすると、逆に悟りに近づくことができるという理論です。

こんな言葉があります。
「悟りを目指して、慈悲の心をもって、人を救うのを究極とする。」

「空」は、理解して終わりではありません。
人助けをしてこその意味があります。
これができたら、自分は満たされます。

認知症の方とのかかわりの中での「大我」
「悟りを目指して、慈悲の心をもって、人を救うのを究極とする。」
これは、認知症の有無にかかわりませんが、「慈悲の心」をもって人とかかわることが、「人も自分」も救うのだと思います。

特に「慈悲」という言葉を大切にしたいと思います。
慈悲とは
・相手を非難せずに、受け容れる寛容さ。
・相手の困難を理解して、可能な限りの助けをしようとする姿勢。
・自分の利益を超えて、利他的な行動をする。
「慈悲の心」を持ち、「慈悲の姿勢」で認知症の方とかかわることは、介護者と、お互いの心を満たす豊かさを生む、大切な「心がけ」ではないでしょうか。

参考文献
自分とか、ないから。教養としての東洋哲学 (サンクチュアリ出版) | しんめいP, 鎌田東二 |本 | 通販 | Amazon

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