なぜ人は立つのか?ユマニチュードが示す“歩くこと”の本当の意味

投稿者: | 2025年3月9日

みなさん、ユマニチュードをご存知でしょうか。
ユマニチュードとは、「見る・話す・触れる・立つ」の4つの要素を通じて、認知症の人との尊厳を守りながらコミュニケーションを深めるケア技法です。

4つの要素の一つである「立つ」。なぜ、「立つ」ということが必要なのでしょうか。
それは、「立つ」ということが、アイデンティティを確立していく基礎となっているからです。

心理学的にも「立てなくなること」は大きな喪失です。
事故などで、立てなくなった方は、そこからまた、アイデンティティを構築していく必要があるからです。

生物学的に見ても、骨や関節、呼吸器、循環器、消化器、神経系、皮膚、筋肉など、身体を構成するほとんどの臓器が、「立つ」ことまたは「歩くこと」に影響されています。

ただ、強制的に「立つ」ことをすすめてはいけません。
ユマニチュードが大切にしている価値の中に、「自由」「自律」があります。
「自分が何をやりたいかを選ぶ」ということを、尊重しなければなりません。

だから、その人にとっての「立つ」理由が必要です。
ケアする人が、『「立つ」ことによって、身体にとてもいい』ということを説明しても、その方がそれに魅力を感じなければ、理由にならず、無理やり「立つ」ケアを行う恐れもあります。

私たちは、なぜ「立つ」のでしょうか。なぜ「歩く」のでしょうか。
それは、その先に目的があるからです。
会いたい人がいる。行きたい場所がある。食べたいものがある。
など、「立つ」「歩く」ことは、希望を叶える手段です。

その方の希望を、「心の底」にある希望を知るためには、その方との絆を結ぶ必要があります。その方をよく知ることから始めていきます。
絆を結ぶためには、「人と人」としてのかかわりが必要だと思います。
ケアする人、ケアされる人という関係ではありません。

そのために、その方の「尊厳」を守ることが必要です。
「尊厳」が守られている状態とは、
「自分が人として、価値ある存在である」と思うことができることです。
「尊厳」をもっと簡単にいうと、
「人が人として扱われること」です。
他者が、「自分を尊重してくれている」と感じるのが、「尊厳」です。

心身ともに「欠けていることのない状態」。
人間であることの「十全性」が守られているときに、「尊厳」が生まれます。
これは「完璧」である状態とは違います。
自分が、自然な状態で機能していて、「生きている」と感じることができる状態です。

尊厳を感じてもらうために、
「わたしはあなたと同じ人間で、あなたもわたしと同じ人間です」
というメッセージを伝える必要があります。
そのことによって、「絆を築く」ことができます。
そしてそれは、失われていた「人間らしい存在」を取り戻すことになっていきます。

ケアする人の行動の中心は、「ケア」ではありません。
中心にあるのは、相手と自分との「絆」です。
「ケア」はそのための手段です。

絆を結ぶことができることによって、相手の心の底の希望がみえてくると思います。
その希望を叶えるために、「立つ」「歩く」という行為につながります。
事実として、そのことによって、ずっと寝たきりだった方が歩けるようになった事例もあります。

相手との「絆」を結び、その方の希望をみつけ、現状とのギャップを埋めていく。
そのためには、その方の尊厳を守ること。人として尊重していくことが大切です。
「立つ」こと「歩く」ことが、そのギャップを埋める手段になるのだと思います。

参考文献
https://amzn.asia/d/7aJX4wE

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