個別性の高い、対人援助職。人は合理性だけで行動しません。正しい知識、理論、経験から得た方法論を伝えても、上手くいかないことが多いと思います。
予測しがたい環境変化の影響を受ける現状では、蓄積されたデータから導き出された「答え」では対応できないことも増えています。AIには「答え」を出すことのできない、難しい人と人との深いかかわり。私たちは、どのように「その人」と向き合っていったらよいでしょうか。
ネガティブ・ケイパビリティとは
人を100%理解することはできません。「わかったつもり」になってしまうことは、とても危険なことです。
ネガティブ・ケイパビリティはそういったリスクを防ぐことができます。
100%理解ができないという、答えがない、また、ゴールがないという、状況下の中にいる。それでも、その状況を受け入れ、そこに留まり、わかろうとする努力を継続するための力。
それが、ネガティブ・ケイパビリティです。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
日常で経験した出来事に対して、「本当にそうなのか、本当は何が起きているのか」、その出来事に対する自分の考えに対しても、「本当にそれでいいのか、違う見方はないか」と考えるづける姿勢や力、
これもネガティブ・ケイパビリティです。
判断を保留にした状態、答えが出せない状態でもいい。むしろ、自分がその状態を保てていることを歓迎するのです。
VUCAの社会におけるネガティブ・ケイパビリティ
VUCAとは
Volatility(変動性)状況が大きく、急激に変化することを意味します。予測が難しい変動が頻繁に起こ
る状態を指します。
Uncertainty(不確実性)未来の出来事や結果が予測しづらいこと。明確な情報が不足しており、判断が
難しい状況を指します。
Complexity(複雑性)多くの要素が絡み合い、それぞれが相互に影響を及ぼすため、全体像を把握する
のが難しい状態を表します。
Ambiguity(曖昧性)物事の意味や影響がはっきりせず、多様な解釈が可能な状況を指します。
様々な人生を送ってきた人間関係において、自他の微細な違いまで共有することが求められる場面では、ネガティブ・ケイパビリティが必要になります。
他者をわかること、わかり合うことについて、
・より細かい
・より深い
・より丁寧
なかかわりが、求められるからです。
既存の知識、データ、理論、マニュアルなどをもとに効率的、合理的に判断して結論(問題解決)を導く力(ポジティブ・ケイパビリティ)は必要です。
しかしながら、VUCAの社会の中で、自他の違いを尊重し合う、ダイバーシティ&インクルージョンを実現していくために、そして、曖昧さや葛藤のなかに留まりながら仕事を続けていくために、ネガティブ・ケイパビリティを理解することが必要となると思います。
ネガティブ・ケイパビリティの4つの要素
・答えを急いでもとめないこと
・わからない状態に留まること
・自分の考えや気持ちを消すこと
・他者の中に入って共有すること
出来事を①と③の姿勢で受け止めます。②の状態を保つことによって、④のような他者の目から見た世界を感じ取れるようになれると思います。
共感する他者の領域が広がっていくと、自分の枠組みから解放されて、多様な視点、考え方ができるようになります。これは、時にひらめきや創造力とも呼ばれます。
芸術におけるネガティブ・ケイパビリティ
「源氏物語」をはじめとした文学作品にも、ネガティブ・ケイパビリティが描かれています。
個性をなくして、曖昧なものは曖昧なままにして、矛盾や葛藤をそのまま受け止め、その中で出てくる感受性や、共感性の大切さを教えてくれます。
絶望的な状況を直視しつつも、わずかな希望を支えに耐えながら、自分にとっての真実を求め続ける美しさも表しています。
マインドフルネスとネガティブ・ケイパビリティ
マインドフルネスとは、「今、この瞬間に起きている経験に注意をむけ、評価や判断を手放して囚われのない状態で、感覚や感情を受け入れ、気づきを得る状態を促進するもの」です。
マインドフルネスとネガティブ・ケイパビリティに共通するプロセス
・これまで身につけてきた、価値観や常識、普通など、自分の考え方の前提になっているものを、疑ったり手放したりすること。
・負の側面、否定的感情も含めて、今自分が体験していることをそのまま受けとめること。
・今、ここにとどまること
・上記を保ち、自動的にわいてくる感情から離れて、今の状況を客観的に見ることができるとうになること
・結果として、意識や視点の大きな転換が起きて、「ありのままの自分」にアクセスすることができ、苦しみから解放につながること
ネガティブ・ケイパビリティを身につけることで、マインドフルネスの状態に近づく。マインドフルネス瞑想によって、ネガティブ・ケイパビリティを養うことができるといえると思います。
哲学者ハイデガーから学ぶ、ネガティブ・ケイパビリティ
ハイデガーは、「人間は、完全な依存ではないことを強調し、自己の限界を受け入れることで、偏見やプライドから解放され、謙虚な姿勢を保つことができる」と考えました。
また、「待つ」という姿勢とは、何かを期待して待つのではなく、すべての執着(予測)を捨てて、純粋に待つべきとも主張しています。
これは対人援助職に求められる姿勢であると思います。
対象者の力を信じつつも、過度な期待をすることなく「待つ」のです。
組織の変革を担うリーダー、優れた教育者が持つネガティブ・ケイパビリティ
立ち止まって、熟慮、内省することによって、必要な情報が掘り起こされます。そうすることで、周囲で起こっていることが明確になります。諦めたくなる気持ち、他者の評価を恐れる気持ち、過去の経験から学んだことを当てはめたくなる気持ちに耐え、保留状態を保ち、内省と観察を続けることによって、アイデアが生み出されるのです。
判断を保留して、答えを出さない状態をキープすると、きわめて不安で、ストレスフルな状態が続きます。
それを支えるのが、ネガティブ・ケイパビリティです。
対人支援職の人間観
「人は一人ひとり異なる」「自分と人は違う」
このことを、私たちはどのくらいわかっているでしょうか。どれだけ意識しているでしょうか。
他者とコミュニケーションする時、
「相手はどういう人だろうか」「そのような感じ方や考え方をする人だろうか」「私の発信をどう受け止めるだろうか」
などと考えているのではないでしょうか。
このようなことを考えるとき、
1つは、自分基準で想像します。
もう1つは、これまでの出会いでの中で、目の前の相手と似たところのある人を思い出し、その人だったらどう感じるかという推測をします。
人を理解する上では、相手が客観的にどのような人であるかを知ろうとすると同時に、自分自身が持っている人や出来事に対する見方(人間観)や、相手をどのような人だとみるか(見立て方)についての傾向や特徴を知っておく必要があります。
対象者も自分自身もすべて理解することはできません。しかし、理解できない絶望感を受け入れ、その状況の中でも理解しようとし続けるのです。
支援者も対象者も「人」です。「人をどういう存在だと見ているか」とは、自分をどういう存在だと考えているかということでもあります。
人を人間関係の中で、心を持って生きる存在、心理社会的存在(人間が心理的な側面(感情や思考)と社会的な側面(他者や社会との関係)を持ち、相互に影響を受けながら生きる存在)と考えて、支援職の人間観を見ていきましょう。
一つの言葉で人を表現しない
個人の中には、複数の要素があります。
「やさしい」「厳しい」「明るい」「暗い」「感覚的」「論理的」
これらは共存しています。
ある事象には「やさしさ」が優位でも、他の事象に対しては「厳しさ」が優位になることがあります。
他者(自分についても)単一の印象を固定せず、次々と現れてくる特性を積み重ねて理解しようとすることが大切です。
そうすることで、一つの言葉で人を表現し、言葉にしてしまうと、それがレッテルとなって、知らず知らずのうちに刷り込まれ、他の要素が見えにくくなることを避けているのです。
マイクロアグレッション
マイクロアグレッションとは、無意識の偏見や差別が含まれる、さりげない発言や行動が相手に不快感や疎外感を与えることです。
人の理解が難しいことに加えて、対象者には、簡単に話してくれない秘密や、忖度、嘘があります。
マイクロアグレッションが出やすいテーマを知ると同時に、対象者の言葉を大事にしながらも、嘘や秘密の存在を意識するというネガティブ・ケイパビリティを発揮することが大事になります。
人間の可能性を考えるときの危うさ
「夢をもって努力を続ければ、その夢は叶う」この言葉には2つの危うさがあります
1つ目は、「何にでもなれる」の「何」が、外的キャリア(職歴や役職、収入、資格など、客観的に見える仕事上の成果や地位)として言われやすい点です。
「何」は外的キャリアだけでなく、自分が充実感や成長実感などを得られる生き方。たとえば、「正直さを大事にした生き方」といったような、内的キャリアも含めて考える方が環境変化が激しい社会には適応的です。
もう1つの危うさは、「何にでもなれる」という考えを期待される側の問題です。この期待が大きなストレスや負担を生むことがあります。
また、支援者が、「これだけやっているのに、対象者が成長しないのは、対象者の努力が足りないからだ」と、問題を対象者に押し付けてしまう危うさもあります。
「何にでもなれる力がある」ことと「何でもなれる」は違います。
「人の可能性を信じたい」でも、「過度に期待しない」状態。「成長を強く望む」けれど、「成長しないことも受け容れる」。そういう状態にとどまっていられる力、ネガティブ・ケイパビリティが必要になるのです。
何のために対象者を理解するのか
「役に立つ」「課題を特定する」といった目的から解き放たれて、自由に発想する。すると、自分とは異なる存在である対象者の固有の感じ方、考え方に触れることができるのではないかと思います。
これは、シェイクスピアが持っていたという、「自己を虚しゅう(物事に意味や価値を見いだせず、心が空虚に感じる状態)して、他者(登場人物)を想像し、他者に共感する力としての、ネガティブ・ケイパビリティでしょう。
対人支援職は、対象者の「役に立つ」ことが仕事です。しかし、それを意識するあまり、拙速(せっそく:質は低いが速やかに物事を行うこと)に理解しようとしてはいけないのです。
ここにもネガティブ・ケイパビリティが活きてきます。
事前情報の取り扱い
熟練の支援者は、意識してイメージを持たないようにしています。イメージしたとしても、それを固定せず疑いを持つようにしています。
対象者の言葉を、「信じること」と「疑うこと」の間に留まり続けるネガティブ・ケイパビリティが求められます。
初回面談で、事前情報を得ながらも、先入観を持たないニュートラルな状態を保とうとするのです。
わかり合えないこととネガティブ・ケイパビリティ
“Put yourself in someone else’s shoes.”「相手の靴を履いてみなさい」
「相手の靴をはいて千里を歩かないと他人のことはわからない」(インディアンのことわざ)
わかり得ない領域を知ること、自分が知れることへの謙虚さが、共感や相手理解の前提となります。
知れることの謙虚さは、他者理解を諦めていることではありません。
ネガティブ・ケイパビリティを発揮して、わかり得ないことを受け容れつつ、わかろうとし続ける姿勢を保つのです。
はやく対象者を理解しようとすることのデメリット
はやく対象者を理解しようとすることは悪いことではありません。
しかし、デメリットも知っておく必要があります。
強すぎる目的意識は、対象者を、前例や常識、これまでのパターンにあてはめて、手っ取り早く理解したくなる気持ちを誘発します。
自分とはまったく異なる対象者を、制約なく自由に想像することで、対象者の気持ちが伝わってくるようになります。
こういった場合には、支援者が感じた背景や感じるに至ったストーリーを丁寧に聴くことです。
そうすることで、理解が進むだけでなく、辛さの中身が見えてきます。
すると、共感の言葉に嘘がなくなっていきます。
負の感情
負の感情は、時として扱いづらいものです。
しかし、
「何を目標に生きたいか」「何を大事にして生きていきたいか」
などの、対象者の望みを明確化するヒントを与えてくれます。
強い負の感情は、「私はこうありたい!」「こう生きたい!」という心の叫びです。
問題を良い・悪いの二次元思考で捉えずに、両面を意識して、対象者の中にある「本当はこうありたいが、そうできない」という葛藤とともに理解することが大事です。
対象者と誠意をもってかかわる
対象者の意向を尊重するといっても、鵜吞みにするわけではありません。
支援職が違和感や反対意見がある場合には、それを対象者に伝えます。
支援者が、「違うんじゃないか」と思っているのに、それを言わないのは不誠実です。
まずは思いを受け止めますが、疑問をそのままにすることはなく、問いかけることは誠実さを表していると思います。
役に立ちたい、でも役に立てない
対人援助職は、人の役に立ちたいと思い、仕事に就くと思います。しかし、同時に「役に立てないこと」を受け容れ、対象者から、役に立ったと思われなくてもいいとも考えるようにすることも必要です。
「私たちは、対象者からわすれてもらいたいくらいで、対象者があたかも自分でよくなったかのように、陰で支えるの」のが仕事です。
まとめ
簡単に答えの出ないことの最たるものとして、「自分はいかに生きるか」ということだと思います。
私は、胃癌を経験して、「自分の人生を「今、この瞬間」を大切に生きる」ということを学びました。
しかしながら、この答えさえにも、疑問を持ち、価値観を問い続けていくことが必要です。
一生かけて、この「答えのない状況」に留まり続けながら、諦めずに答えを探し続けていくのです。
そのためにも、ネガティブ・ケイパビリティを発揮することが、私の支えとなると思います。
対人援助職のみならず、すべての人が、「答えを急がないこと」を、選択肢の一つとして持っていることで、実は心の安寧にもつながることだと思います。そのつながりを紡いでいくことで、社会に豊かさが生まれるのだと信じています。
参考文献
あえて答えを出さず、そこに踏みとどまる力‐保留状態維持力対人支援に活かす ネガティブ・ケイパビリティ | 田中 稔哉 |本 | 通販 | Amazon