認知症の方が、何かしらの行動をした時に、「どうしてそうしようと思ったのか」と理由を聞くことがあります。
しかし、理由を聞くということは、実はその方を苦しめているかもしれません。理由を聞いて、正していくというプロセスは、どこか縦の関係であるようにも思います。
「その行動をしたら、どんないいことがあったのか」と、その方の世界に飛び込んでいく。
そうすることで、「この人は自分の話を聞いてくれる人」というポジティブな感情が残るのではないかと思うのです。
なぜならば、それは「自分を認めてくれた」というメッセージになっているからです。
認知症の方は、誤った認知症観などから、否定されたり、注意を受けたり、自分の想いを認められない体験をしている方が多いように感じます。
「なんで?」と理由を畳みかけるように周りから言われることで、自分の心に蓋をしてしまうこともあります。
私たちは、自分をうまくコントロールできない歯がゆさの中で生きているとも思います。
認知症の方は、特に「自分をうまくコントロールできない」不全感(自分はうまくできていない)のようなものがあるのだと思います。
そのような「自分」を受け容れることは、とても苦しいことです。
自分を受け容れることを促すのではなく、まずは、人に大切に、大事にさらたという実感を得てもらう。周りから自分の存在を承認してもらう。そこから徐々に、「受け容れる」という過程に進むことができると思います。
「構成論」という考え方をご存知でしょうか。
構成論とは、「何をどう実現したらうまくいくか」という意味です。
行動の「理由」を知って解決することも必要な時はあります。
しかし、それよりも「何を実現したいか」ということに着目することが大切だと思います。
それは、その人の「夢」や「希望」「目標」になり、その人らしく生きることにつながります。
私たちは、その背中をそっと押すように、「共に」対話を重ねていくことが必要です。