記憶はどこへ行くのか――認知症と“アクチュアリティ”というまなざし

投稿者: | 2026年2月7日

「記憶は消えていくものではなく、潜在的に残り続けていく。」

これは、認知症に向き合う中で私が強く感じていることです。

たとえ名前を思い出せなくなっても、過去の出来事が語れなくなっても、記憶そのものが完全に消えてなくなるわけではないのではないでしょうか。

それは、心や身体のどこかに、確かに息づいていると私は思っています。


潜在記憶が生きている日常

認知症を持つ方の中には、家族の名前を忘れてしまうことがあります。
それは、ご家族がショックを受ける出来事の一つでもあると思います。

しかし、家族の方がそばにいると安心した表情をすることがあります。
たとえ名前を憶えていなくても、大切な家族の声、表情、温もり、雰囲気…それを確かに感じ取っているのではないかと思うのです。

ただそれを、うまく表現できないこともあるのではないかと、私は感じています。

そうした瞬間に出会うと、「この方の身体、心のどこかに記憶は残っている」と、
信じずにはいられなくなります。

それは、「思い出す」という形では現れないかもしれません。
しかし、「感じる」「動く」「反応する」といった潜在的なレベルで記憶が今も生きていることの証ではないでしょうか。


アクチュアリティとは、「今を生きている」ということ

私はこの感覚を、“アクチュアリティ(actuality)”と呼びたいと思っています。

アクチュアリティとは、単に「現在に存在している」という意味ではなく、記憶の深層とつながりながら「今この瞬間」を生きているという状態を指します。

過去を失ったように見えても、その人の存在に、過去の記憶が在る。
今この瞬間に、感情や関係性を通して、その記憶を頼りに表現されているのです。


失ったものではなく、「残っているもの」に目を向ける

認知症ケアでは、つい「できなくなったこと」や「忘れてしまったこと」にばかり目が向きがちです。
しかし、潜在的に残っている記憶や感覚に意識を向けることで、その人らしさを「今」に見いだすことができます。

  • 表情の変化
  • 手の動き
  • 声のトーン
  • ふとした一言
  • 大切にしているもの(シンボリック)

これらがすべてではありませんが、ご本人の内側にある記憶とのつながりを感じさせてくれるものです。


心を寄せるケアのあり方

「今」を一緒に感じること。
「記憶がない」と決めつけないこと。
その人の内側にある“アクチュアリティ”に敬意を払うこと。

これは、専門家でなくても、家族でも誰でもできる関わり方です。
誰でもできますが、ご家族との関係性など様々な要因で難しい時があることも事実としてあります。

わたしは、それを責めるつもりはありません。
そして、それができないのはあなたが悪いわけでも、あなたの責任でもありません。

まずは、自分自身のアクチュアリティを大切にすること。
それは、自分を大切にする。自分を愛することです。

それが、相手のアクチュアリティに出会う準備です。

そして何より、認知症の有無にかかわらす、「あなたは、過去を含めて今この瞬間を確かに生きている」という承認のまなざしが、ご本人にとっての安心や尊厳につながっていくのだと、私は信じています。


記憶は、完全には消えません。
見えなくなっても、感じられなくなっても、
心と身体に、もしかしたらもっと違う場所に、確かに深く残っている。

そのことを信じるところから、
私たちのケアは始まるのだと思います。

ケアに限らず、
私たちの関係性が始まります。
もうすでに、始まっています。