最後の夜勤

投稿者: | 2025年5月15日

私は、小規模多機能型居宅介護という種別の介護施設のケアマネジャーです。
施設の特性上、介護職としての業務が多いです。

先日は、夜勤でした。しかし、宿泊の方はお一人。
その方は、施設の中では介助量が一番多い方です。でも、私はその方が一番好きでした。利用者でもなく、高齢者でもなく、人として好きでした。

その方(以後高山さんと書きます。もちろん実名ではありません。しかし、パーソンセンタードケアの理念に基づいて、Aさんなどの記号的な仮名は避けます)は、自分がいることが家族の迷惑になっているのではないかというもどかしさを持っていました。それでも、100歳まで生きたい。後世に伝えたいものがある。頑張ればもっと身体は動くようになるから、リハビリしたい(ご自身で考えたリハビリを行っていました)。心苦しい中でも、希望を捨てず、挑戦している。わたしは、そんな高山さんの人柄が好きでした。

高山さんの夕食が終わり、自由な時間です。いつもはテレビを見ているそうです。(わたしは、この施設では初めての夜勤)しかし、高山さんから、「今日は本が読みたい」というご希望がありました。私も読書が好きなので、「読書会をしましょう」と伝えました。30分くらい、静かに本を読む時間が流れました。

すると、高山さんが「話をしたいことがあるんだけど」と、おっしゃいました。
それから、じっくりと二人で本音で語り合いました。

高山さんは「いつも夜中起きてしまうけど、職員を読んだら申し訳ないと思って、時計をベッドにおいて、あと30分呼ぶのを我慢しようと考えながら寝ている。それでも、職員を呼ぶ回数が多いと(4回程度でも)呼び過ぎだと怒られる。いつも申し訳ないと思っている。」
そう打ち明けて下さいました。

私は「今日は、呼びたいときは何の遠慮もなく呼んで下さい。100回でもいいから呼んでください。私にとって、それは何の苦痛でも迷惑でもありません。だから、時計を見て遠慮する必要もありません。どんな些細なことでも呼んでください。私は、そのために今ここにいます。」
そうお伝えしました。

私は、ガンで入院中、手術後に痰がらみが酷く呼吸も苦しく、吸引が必要でした。しかし、ナースコールを押しても1時間以上経っても、看護師さんが来て下さらないことはざらでした。声を出すことも大変だった状況で、そばに看護師さんが居る時に助けを求めても、その声が届くことはありませんでした。地獄のような入院生活でした。

そんな経験もあり、私はそう高山さんに伝えました。

最後の質問として、「あなたはどうして高齢者の世話をしようと思ったの?」と高山さんが聞いて下さいました。

私は友人からの誘いで介護の世界に入り、利用者さんからの「ありがとう」や笑顔に心が救われ、とても嬉しく、この道を極めて行こうと思った。でも、今は介護の世界にいるけれど、利用者さんを高齢者だとは思っていない。あくまでも「人」だと思っている。「人と人との営み」だと思っている。目の前にいる「人」が苦しんでいるなら全力で助けたい想いでいる。

そんなことを伝えました。

高山さんは、「私は前から、あなたはとても暖かみのある人で、好きだった。そういう想いがあることを知って、あなたの暖かみの意味がわかった。そして、あなたの匂いが好きだった。」

そうおっしゃって下さいました。

寝る前に、よく眠れるようにと日記を書いていただきました。
3つ、今日あったいいことを書いてもらいました。
そして最後に、「今日もいい一日だった」と書いていただきました。

その後に、高山さんに伝えました。
「これを毎日続けることを強制はしません。でも、毎日必ず1つはいいことがある。それを夜に思い出して、今日もいい一日だったと思う。それが365日続いたらいい1年になる。5年続ければいい5年間になる。だから、最期にいい人生だったと思えると思います。」

高山さんは「うまいこと言うね。よく眠れそう。今日は本当にいい日だった。ありがとう。」とおっしゃってくださいました。

「私の方こそありがとうございます。」と伝え、ベッドで高山さんはお休みになりました。

他のスタッフに、「頻回に起きる」と聞いていましたが、2回コールが鳴るだけでした。
いつもは、宿泊の日の翌朝は、疲労感に溢れ、眠そうにしています。
この日迎えた朝は、高山さんは爽やかな笑顔で「よく眠れた。ありがとう」とおっしゃってくださいました。

高山さんが、よく眠れて本当に良かったです。朝に見せて下さった爽やかな笑顔を見ることができて嬉しかったです。そして、語り合った時間が本当に幸せでした。

実は、夜勤数日前から体調が悪化していました。私は、去年胃がんになり手術をしています。無理をして、フルタイムで働いたことが原因だったかはわかりませんが、発熱(感染性はありません)、倦怠感、胃痛(食べ物が胃に入る瞬間に痛みが生じる)、胃の不快感(動くことも大変)が続いていました。
それでも、夜勤の穴を空ける訳にはいかないと、無理をして出勤しました。
夜勤中も、その症状は続いていました。
でも、なぜか高山さんと語り合っている時間だけは、体調の悪さから解放されていました。

午前4時頃から、体調の悪さはさらに悪化。それでも、早番の職員が来るまでは耐えて、早退させていただきました。

そして今、また働けない身体になり仕事を休んでいます。
おそらく、もう介護職として現場に立つことは難しいでしょう。やるとしても、かなり先になりそうです。

でも、私は介護、福祉の世界から離れようとは思っていません。
身体の負担も考えて、一人で居宅介護支援事業所を開設します。今までずっと、認知症の啓発のための活動もしてきました。勉強も重ねてきました。認知症特化型で、少人数制で、手厚い支援ができる事業所を立ち上げます。また、病気や障害にかかわらず、あくまでも「人と人との営み」として、「心の苦しみから救いたい」と思っています。
認知症の歌を作ってライブもしています。
認知症の専門性×当事者視点(がん、メンタル疾患)×音楽的表現の融合。
「心の平穏を届ける」ことを使命として活動していきます。

今の困難な状況に置かれても、諦めずに進む勇気をくれたのは、紛れもなく高山さんです。

本当にありがとうございました。