「誰も悪くない」――セルフバリデーションが教えてくれた、その理由 セルフバリデーションとは、 感情を変えることではなく、 感情が在ることに許可を出す生き方です。 創痍(心の傷)を否定せず、 苦しさを苦しいままに感じ切ることで、 人は「誰も悪くない」という地点へ戻っていける。
自身の診断に揺れ、考え続けたどり着いた、統合失調症の本質——主体性の喪失という視点 統合失調症の本質は、 認知の歪みそのものではなく、 「自分が自分として世界に関わっている」という 主体性の喪失にあるのではないか。
「創痍」と「対話」――パーソンセンタードケアの原点へ 「創痍」とは、癒えない痛みではなく、 “まだ世界とつながりたい”という証。 「対話」とは、相手を変えるためではなく、 相手の世界を見に行く行為。 怒りには怒りで、悲しみには悲しみで寄り添う。 それが、嘘のない共感。 パーソンセンタードケアの原点は、 “認知症の人のため”ではなく、 “すべての人の尊厳を守ること”にある。 支援とは「助けること」ではなく、 「互いの創痍に寄り添い合うこと」。 目に見えない共感というグルーオンが、 人と人とを再びつなぎ合わせていく。
その胃の痛みを変わってあげられない。ごめん。 「その胃の痛みを変わってあげられない。ごめん。」 この一言に、“愛”のすべてがあると思いました。 愛は、救うことでも、支配することでもない。 相手の痛みを“感じようとすること”。 ただ、その場に居合わせる勇気。 それは、認知症ケアにも通じる“対話”の姿勢。 言葉よりも、想いでつながる瞬間。 そこにこそ、人の尊厳が生まれるのだと思います。
「想い」は届く!理屈をこねて証明した、私なりの哲学~トランペットの音と共に~ 人と人との間で交わされる『想い』は、目には見えなくても確かに存在します。 それは粒子のように形を持ち、同時に波のように広がっていく。 だからこそ、『想いは必ず伝わる』――私はそう信じています。
嬉しい時には素直に喜びます😊~「対話」がもたらす心のしなやかさ~ 「対話」がもたらす心のしなやかさ。 生きづらさや心の苦しみはゼロにはならないかもしれません。しかし、対話を重ねて自分の考えや哲学を深めることで、人生の軸が太くなります。 それは、竹のように倒れても立ち上がり、稲のように踏まれても元に戻れる、心のしなやかさへと繋がります。