~つながりが切れそうなときに、私たちにできること~
人は、何かが「できなくなった」ときよりも、
つながりが切れたと感じたときに、深く揺らぐのではないか。
私は、これまでの経験からそう考えています。
言葉が通じない。
理解されていない気がする。
自分がこの世界に「居ていい」のか、わからなくなる。
この感覚は、単なる気分の問題でも、
考え方の癖でもありません。
もっと手前で、
「自己」または「自我」に、意味が成立する土台そのものが揺らいでいる。
私はそう捉えています。
ノエマは「対人希求性」ではないか
現象学では、人の意識はつねに何かへ向かっているとされます。
この「向かい」を、ノエマ/ノエシスという概念で捉えます。
- ノエマ:意識に立ち現れている「意味」
- ノエシス:その意味へ向かい、関わろうとする意識の働き
私はこのノエマを、
単に、「意識された対象」や「認識された内容」に対する「意味」ではなく、
対人希求性そのものとして捉えられないかと考えるようになりました。
人は本質的に、
- わかってほしい
- つながっていたい
- 見失われたくない
という希求を持って生きているのではないでしょうか。
それは後から付け足された欲求ではなく、
意味が意味として立ち上がる以前から存在しているものです。
つまり、心の深層に確かに存在している欲求として「在る」ということです。
この希求そのものが、
すでに「意味」として意識に現れている。
それがノエマなのではないか。
私はそう考えています。
ノエシスとは「共に在ろうとする意識」
ではノエシスとは何か。
ノエシスを
「正しく理解する力」
「適切に解釈する能力」
としてしまうと、人はすぐに評価や修正の対象になります。
けれど、深い苦しみの只中にいる人が求めているのは、
正解でも、助言でもないことが多い。
私自身の体験としても、その「作用」を体感しています。
必要なのは、
意味が生まれようとしている場に、共に在ることです。
わからなくてもいい。
結論が出なくてもいい。
混乱していてもいい。
それでも、
その場から離れない。
関係を切らさない。
私は、
この「共に在ろうとする意識」そのものを、
ノエシスとして捉えています。
それでも、関係は壊れてしまう
ただ、現実には――
どれだけ共に在ろうとしても、
人は疲れ、余裕を失います。
沈黙が怖くなる。
早く答えを出したくなる。
何かしなければと焦る。
その結果、
- 説明しすぎてしまう
- 正論をぶつけてしまう
- 関係を終わらせてしまう
そうして、
ノエマ(対人希求性)と
ノエシス(共に在る意識)は、
簡単に断絶してしまいます。
私は、この
「切れそうになる瞬間」
に、もっと注目すべきだと思っています。
メタノエシス――絆を保ち続ける働き
ここで私は、
ノエマとノエシスをさらに一段外側から支える働きがあるのではないか、
と考えるようになりました。
- つながりたいという希求
- 共に在ろうとする意識
この二つが、断絶しないように保ち続けること。
私はこの働きが、
メタノエシスではないかと考えています。
メタノエシスとは、
理解することでも、
何かをしてあげることでもなく、
関係そのものを関係として保ち続ける意識の在り方です。
代わってあげられなくてもいい。
痛みを取り除けなくてもいい。
それでも、離れない。
それでも、切らさない。
この姿勢そのものが、
人の主体性と世界とのつながりを、静かに支えます。
自我の揺らぎは「認知」だけでは説明できない
自我が揺らぐとき、
人は単に「考え方」を失うのではありません。
- 世界とつながっている感覚
- 他者と同じ場にいる感覚
- 自分がここにいるという実感
こうした意味の基盤が、薄れていきます。
だから、
正しい思考や前向きな言葉だけでは届かない。
必要なのは、
意味が崩れきらないように、
関係を保ち続けること。
メタノエシスは、
そのための視点であり、態度であり、実践だと私は思っています。
誰も悪くない。ただ、断絶があっただけ
この考え方に立つと、
誰かを責める必要はなくなります。
うまくできなかったのも、
傷ついてしまったのも、
誰かが悪かったからではない。
ただ、
つながりが保てなかった時間があっただけ。
だから私たちにできるのは、
もう一度、関係を切らさずに「在る」ことです。
対話という実践について
こころ日和で行っている「対話」は、
問題を解決するための時間ではありません。
うまく話せなくても大丈夫です。
結論を出さなくても大丈夫です。
関係を切らさず、共に在ること
その時間を、大切にしています。
もし今、
- 誰にもわかってもらえない感覚
- 自分が自分でないような感覚
- 世界から切り離されたような孤独
を抱えているなら、
一度、「対話」の時間を持ってみてください。
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最後に
無理に変わらなくていい。
無理に前に進まなくていい。
切れそうなところで、切らさない。
それが、人が再び歩き出すための、
いちばん確かな支えだと、私は思っています。
