ブログ」カテゴリーアーカイブ

人と人として、心を通わせるヒント~記憶に認知症の有無は関係ない~

「認知症」と聞くと「記憶障害」を思い浮かべがちですが、人間の記憶はもっと多様です。例えば、出来事は忘れても、その時の感情は心に残ることがあります。これは、エピソード記憶を司る海馬や前頭前野に対し、感情を記憶する扁桃体が認知症でも比較的保たれるからです。

この記憶の特性を知ることは、認知症のあるなしに関わらず、人と人として深く関わるヒントになります。「認知症だから」と線を引くのではなく、相手の「個性」として理解し、何を大切に、何に幸せを感じるのかを知ろうとすること。
あえて、専門性として表現するのであれば、「ケアシェアラー」という、ケアを共に分かち合う姿勢だと思います。

「支援」に変わる、私なりの表現~「手繋ぎ」~

「支援」という言葉に、ずっと違和感がありました。専門性より、人と人の営みでありたいから。

たどり着いたのは、「手繋ぎ」という言葉。

それは、「自分らしさ」への手繋ぎ。
行動への橋渡しであり、行動が「自分らしさ」を生む。

心も軽くなる、その「手繋ぎ」の想いをブログで綴りました。

七難八苦の人生。「自分らしさ」が、生きていく力になる。

「私が考える『心の苦しみを救う』ということ。それは、『自分らしく生きることに力を添える』ということです。」

「社会で一番保障されなければならないのは『自分らしく、自分の人生を生きる』ということです。」

「みなさんに『自分らしく生きて欲しい』と強く願っています。そしてそのために、みなさんの『自分らしさをもって生きていく』力になりたいと強く思っています。」

「自分らしさ」が、心の苦しみを救う。

認知症ケア専門型ケアマネジャーとして活動してきた私が、がんやメンタル疾患を経験し、辿り着いた答え。それは「自分らしく生きること」が心を救うという確信でした。誰もが自分らしく生きられる社会をつくるために、「自分らしさ専門相談員」として新たな一歩を踏み出します。

「誰も傷つけない」ということ。

映画『父と僕の終わらない歌』を観ました。

認知症になっても、「想い」は消えない。
顔や名前を忘れても、大切な人への気持ちは心に残る。
そして、「誰も傷つけない」という約束が、一人の挑戦を支えました。

認知症というラベルを超えて、
私たちは皆、一人の「人」として生きている。
人と人とのつながりに、終わりはありません。

対人援助職としてのエゴとは。

先日参加したランチ会で心に残った「エゴ」という言葉。
対人援助職として20年以上歩んできた自分の信念やビジョン、
そして「想い」までもが、エゴなのかもしれないと感じたとき、
私はその意味を深く見つめ直しました。
学びを胸にしまいながらも、エゴを手放し、人と人として向き合う。
それが私の考える、本当の専門職のあり方です。

“障がい者”はいない。社会がつくった“障害”があるだけ

私は双極性障害を持つ当事者です。
でも、障がいがあるからといって不幸だとは思っていません。
生きづらさは、障がいの有無にかかわらず、誰にでも存在します。
本当に障害になるのは、「社会がつくり出した枠組み」なのかもしれません。
今回のブログでは、“障がい者”という言葉に違和感を抱きながら、「人としての営み」について考えました。