人間関係がしんどいと感じるのはなぜ?―心が開かれている人ほど苦しくなる理由

投稿者: | 2026年3月12日

人間関係の中で、
「どうしてこんなにしんどいのだろう」
と感じたことはありませんか。

人の気持ちや機嫌を気にし過ぎてしまう。
相手の苦しさを、自分のことのように感じる。
みんなに好かれようと頑張る。

このように、
基準が自分ではなく、他者になっていると、
心がとても疲れてしまうことがあります。

しかし、そのしんどさは
あなたの弱さではありません。

むしろ、
あなたの優しさ。
自分より相手を優先させる強さ。

そして、
「人とつながっていたい」という、
人として当たり前の希望です。

この社会で、
人と人との関係性の中で、
生きているからこそ、生まれる感覚でもあります。

しかし、
この関係性の中で生まれる、
「しんどさ」を抱えて生きていくことは、とても苦しいことです。

そこで、
この記事では、

・人間関係がしんどくなる理由
・なぜ心が開かれている人ほど苦しくなるのか
・対話が大切な理由

について、哲学や精神医療の視点も交えながら考えてみたいと思います。


人間関係がしんどくなる理由

精神科医であり哲学者でもある
木村敏の思想を描いた
「精神医学と哲学のあいだー木村敏が考えたこと」の著書の一節に、

「無数の中心が周辺なき円を形成する」
という言葉があります。

少し難しく聞こえるかもしれませんが、
この言葉は人と人との関係をとても象徴的に表しています。

人は誰もが、
自分の人生の中心
として生きています。

誰かの周辺として存在しているわけではありません。

一人ひとりが、かけがえのない唯一無二の存在(絶対的個)として
それぞれの人生を生きています。

しかし同時に、
人は完全に孤立して生きることもできません。

人は常に、
誰かとの関係の中で生きています。

つまり、

無数の中心が互いに関係しながら
一つの円を形づくっている

という状態です。

そこには

・上下関係
・中心と周辺
・優劣

のような階層や隔たりはありません。

すべての人が中心でありながら、
互いにつながっている世界です。


心が開かれているからこそ苦しくなることもある

人間関係がしんどくなるとき、
「自分が弱いからだ」
と考えている方は多いのではないでしょうか。

しかし私は、

心が開かれているからこそ苦しくなることもある

と考えています。

心が開かれていると、

・人の感情を受け取りやすい。
・相手の苦しさに強く共感できる。
・良い情報も、悪い情報も受け容れる。

このような状態になります。

それが悪いわけではありません。

ただ、
ずっと心が開かれている状態は、
しんどさを生みやすいのです。

なぜなら、
自分の心も揺れてしまうからです。

つまり、

人間関係のしんどさは、
「心が閉ざされている状態」が原因とは限らない
と私は考えています。

むしろ、
「心が開かれている状態」が生み出しているのではないでしょうか。

これは、
人との関係を大切にしているからこそ生まれる苦しさ
であり、

だからこそ、
しんどさには、「対話」が必要であるということが言えます。


「だからこそ「対話」が必要になる」とは?

心が開かれている状態では、
人は他者の影響を強く受けます。

これは、
悪い影響や情報と同時に、
良い影響や情報を受け容れやすい状態です。

そのとき必要になるのが
「対話」です。

対話は、
会話とは違う性質があります。

否定のない、お互いの価値観という世界を尊重し、共有しながら、
その安心感の中で交わる、一人の「人と人」との営みです。

この考え方は、フィンランドで生まれた急性期精神医療のアプローチ
オープンダイアログにも通じています。

オープンダイアログでは、

・問題を急いで解決しない
・意味を決めつけない
・開かれた対話(その人のいない所で、対話が展開されない)

ことが大切にされています。

つまり、

その人が、
主体性を取り戻し、対話を通じて、課題に気づき、自らそれに取り組んでいく。

という考え方だと、私は理解しています。


人はそれぞれ「創痍」を抱えて生きている

私は、今の自分の、感情、行動、しんどさを生み出しているものとして、
「創痍(そうい)」という言葉をよく使います。

人は誰もが、

・悲しみ
・喪失
・孤独
・不安

など、さまざまな傷を抱えて生きています。

人生の中で生まれたその傷を、
私は「創痍」と呼んでいます。

創痍は、
「まだ生きたい」という証であり、
人とつながりたいという希望であり、
「つながり」そのものではないかと考えています。


創痍をつなぐ「心のグルーオン」

物理学では、クォークという粒子を結びつける、
グルーオンという粒子があります。

クォークは、
「自己の意思の核」。

言わば「自分は、誰からも侵されることのない、絶対的個」。

そのクォークを結びつけるグルーオンは、
とても強い結びつける力をもっています。

だから私は、
人の創痍と創痍を結びつけるものを

「心のグルーオン」

と呼んでいます。

人は無傷のままで生きることは難しい。
無傷だと思っていても、どこかに傷をかかえていることもある。

でも、その傷があるからこそ、
深く誰かとつながることができます。

自分の創痍を知り、
その創痍を生んだ感情を感じ切る。

その先で、
相手の創痍に触れたとき、

「誰も悪くない」という、
人と人との営みが生まれるのだと思います。


「誰も悪くない」という真理

人はときに間違えます。
人を傷つけることもあります。

しかし、
その行為の背景には、無数の要因があります。

そして、
その人が歩んできた人生、
抱えてきた創痍、

があります。

誰もが創痍を抱えて生きている。

そう考えたとき、

単純に
「誰かが悪い」
と決めつけることが出来ないのではないかと思うのです。

誰かを悪者にしても、
見えてこないことの方が多いように思います。

そこには、
この先の歩みを止める、
ブレーキのようなものにしか、
ならないのではないかとも思います。

だから私は、

「誰も悪くない」

と心から思います。
そう、心から信じています。

誰もが「ありのままの自分に価値がある」
という意味でもあります。


人間関係のしんどさを一人で抱えなくていい

人はそれぞれが中心でありながら、
創痍を抱えて生きています。

でも、
創痍があるから、
つながりの中で生きていくことができます。

その関係は、

「無数の中心が周辺なき円を形成する」

という言葉で表される世界なのかもしれません。

そしてその先に、

「誰も悪くない」

という考え方が、
少しずつ広がっていくのではないかと信じています。


もし今、

・人間関係がしんどい
・自分を責めてしまう
・誰かに気持ちを話したい

そんな思いがあるときは、
一人で抱え込まなくても大丈夫です。

こころ日和は、

無理に前向きにならくていい。
頑張って元気でいなくてもいい。

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