「また同じ話をしている」
「さっきも聞いた」
認知症の方と関わる中で、
このように感じたことはないでしょうか。
私自身、「また同じ話だ」と思い、
イライラしていた時がありました。
認知症をもつ方に対して、
「何もわからない人」
「伝えてもどうせすぐ忘れる」
そんな風に思っていた時さえあります。
しかし今は、
「同じ話」として聴くことはありません。
イライラよりも、楽しさを感じることもあります。
「内容」というフレームで括れば、
「同じ」かもしれません。
でも、その「内容」の中には、無数の意味があります。
もしも、また「同じ話」と思った時に、
「自分の都合だけで聴いていないか」と、
自分自身に問いかけてみてください。
そのしんどさは、
聴き方が生んでいるかもしれません。
「同じ話」は本当に同じなのか
一見すると同じ話でも、
実際には微妙な変化があります。
言葉の選び方、間、表情、
強調される部分。
そこには、
その方の今の状態や気がかりが、
少しずつ表れています。
つまりそれは、
単なる反復ではなく、
その人の物語の感情表現です。
シンボリックとして聴くということ
話をそのまま事実として受け取る。
それと同時に、
その背後にある意味を考える。
それが「シンボリックとして聴く」という視点です。
・昔、大切にしていたものは何か
・何が自分を守ってきたのか
・何で自分を保ってきたのか
「今、私は確かにここにいる」
という、その方のシンボルを大切にすることが、
安心感になるのです。
創痍(そうい:こころの傷・その人が抱えてきたもの)としての表現
人は誰でも、
人生の中でさまざまな創痍を抱えています。
その創痍が、
言葉として繰り返し表現されることがあります。
同じ話のように見えるものも、
実はその方の中にある
未消化の感情や出来事の表出です。
だからこそ、
そこに耳を傾けることには意味があります。
ケアの本質は「創痍の昇華」にある
ケアとは、
生活を支えることだけではありません。
その人の中にある
言葉にならない思いや創痍を、
感じて承認していくこと。
それも大切なケアの一つです。
いかにその方の創痍を昇華していくか。
それは、
その方の人生に寄り添うケアにつながります。
認知症でも、そうでなくても
この視点が大切なのは、認知症の方だけではありません。
人は誰でも、
同じような話を繰り返すことがあります。
それは、
まだ整理されていない思いや、
大切な意味を持つ出来事だからです。
認知症であっても、そうでなくても、
あくまでも「人と人との営み」であることに、変わりはありません。
だから、一度、
「認知症」というフレームを外して、
その方を見てください。
性別、仕事、服装、肩書…
どれも大切なアイデンティティです。
でも時に、
その身にまとっている鎧を脱いで、
ありのままの自分で居る。
ありのままの相手としてつながる。
そこに心の安寧(あんねい)があるのではないでしょうか。
こころ日和は、
その安寧をもたらすために、
変わらずに、
いつでもここに居ます。
※安寧:穏やかで、不安や緊張がなく、安心していられる状態。ありのままでいられる安心感。
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