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「また同じ話…」そう感じたときに知っておいて欲しい―認知症ケアが教えてくれたこと

「また同じ話をしている」
「さっきも聞いた」

そう感じたことはありませんか。

認知症の方の「同じ話」は、
本当に“同じ”なのでしょうか。

言葉の奥には、
その人の今の状態や、
これまで抱えてきた思いが表れています。

それは単なる反復ではなく、
その人の物語の表現です。

「認知症」というフレームを外し、
一人の人として向き合うとき、
見えてくるものがあります。

障がい・病気・がん ― 属性ではなく、人は「存在」としてどう在るのか

人は、病気や障がい、役割や立場といった
「属性」で理解されがちです。
しかし本来、
人はどんな属性よりも前に、
「一人の人」として存在しています。
尊厳とは、
誰かが与えるものではなく、
当然として存在し、
社会として保障されるべきものです。
そして何より、
尊厳が守られているかどうかは、
本人がどう感じたかが事実になります。

認知症ケアが幸せを感じさせてくれた日~あくまでも人と人との営みであるということ~

認知症の有無に関係なく、
人は「一人の人」として存在しています。

否定せず、コントロールせず、
そのままを認めるかかわり。

その時間が、
私にとって、とても大切で、幸せな時間でした。

「創痍」と「対話」――パーソンセンタードケアの原点へ

「創痍」とは、癒えない痛みではなく、
“まだ世界とつながりたい”という証。

「対話」とは、相手を変えるためではなく、
相手の世界を見に行く行為。

怒りには怒りで、悲しみには悲しみで寄り添う。
それが、嘘のない共感。

パーソンセンタードケアの原点は、
“認知症の人のため”ではなく、
“すべての人の尊厳を守ること”にある。

支援とは「助けること」ではなく、
「互いの創痍に寄り添い合うこと」。

目に見えない共感というグルーオンが、
人と人とを再びつなぎ合わせていく。

🌌 共感というグルーオン ― 創痍をつなぐ見えない力

人と人を結びつける見えない力。

それは「共感」という名のグルーオン。

認知症ケアで感じること――
涙は「壊れていく姿」ではなく、
“再び生きようとする力”の現れ。

創痍(そうい)を抱えることは、弱さではなく、
「まだ世界とつながっている」という証。

共感は、やさしさではなく“感情に寄り添う力”。

今日もまた、心の奥の小さな宇宙で、
静かに「対話」を続けていこう🌙

その胃の痛みを変わってあげられない。ごめん。

「その胃の痛みを変わってあげられない。ごめん。」
この一言に、“愛”のすべてがあると思いました。
愛は、救うことでも、支配することでもない。
相手の痛みを“感じようとすること”。
ただ、その場に居合わせる勇気。
それは、認知症ケアにも通じる“対話”の姿勢。
言葉よりも、想いでつながる瞬間。
そこにこそ、人の尊厳が生まれるのだと思います。

早期発見早期寄り添いが大切な理由

「認知症は早期発見・早期治療が大切」とよく言われますが、それ以上に大切なのは“早期に心に寄り添うこと”です。
診断を受ける前に、ご本人の不安に寄り添うことで、安心感が生まれ、それが進行を緩やかにする力にもなります。
“安心”という感情記憶は、薬よりも大きな効果をもたらすことがあります。
だからこそ私は、“早期発見・早期寄り添い”を大切にしたいと思っています。

人と人として、心を通わせるヒント~記憶に認知症の有無は関係ない~

「認知症」と聞くと「記憶障害」を思い浮かべがちですが、人間の記憶はもっと多様です。例えば、出来事は忘れても、その時の感情は心に残ることがあります。これは、エピソード記憶を司る海馬や前頭前野に対し、感情を記憶する扁桃体が認知症でも比較的保たれるからです。

この記憶の特性を知ることは、認知症のあるなしに関わらず、人と人として深く関わるヒントになります。「認知症だから」と線を引くのではなく、相手の「個性」として理解し、何を大切に、何に幸せを感じるのかを知ろうとすること。
あえて、専門性として表現するのであれば、「ケアシェアラー」という、ケアを共に分かち合う姿勢だと思います。

「自分らしさ」が、心の苦しみを救う。

認知症ケア専門型ケアマネジャーとして活動してきた私が、がんやメンタル疾患を経験し、辿り着いた答え。それは「自分らしく生きること」が心を救うという確信でした。誰もが自分らしく生きられる社会をつくるために、「自分らしさ専門相談員」として新たな一歩を踏み出します。