「どうやって生きていけばいいのか」と問い続けた先にあったもの~「こころ日和」に込めた想い~

投稿者: | 2026年5月3日

私のメンタルヘルス事業の屋号である「こころ日和」。

この言葉に、どんな想いを込めているのか。
それを、お伝えさせてください。


なぜ「こころ」なのか

私は、17歳で統合失調症と診断されました。

そのころ通っていたデイケアで、
精神保健福祉士の方に支えられました。

そして、進路を決める時に、
「今度は私が支える側になろう」
と思い、福祉の道に進みました。

その後は、
病院のソーシャルワーカーを経て、
介護の世界に入り、ケアマネジャーとして働いていました。

主に認知症の方を対象とした施設で、
ケアマネジャーをしていた時のこと。

行政から、
「地域住民の苦情が出ているから、認知症をもつ明子さんを、施設入所させて欲しい」
という依頼がありました。

私は、お断りしました。

施設入所が悪い訳ではありません。

明子さんは、まだまだ地域で暮らせる力があると、私は考えていました。
それだけでなく、「苦情があるから施設入所」という考え方に、
違和感を覚え、怒りの感情が沸き上がりました。

このことをきっかけに、
「このようなことが二度と起きてはならない」
と強く思い、

そして、
「認知症になっても、その人らしく生きることができる社会を
~自分らしく、あなたらしく、その人らしく~」

という、
ビジョンを掲げて活動を始めました。

約1年後。

私は、
胃がんになり、DVを受け、経済的困窮にも陥り、社会保障制度からもこぼれて…。

食べることもできず、体重は16kg落ちて、抗がん剤治療も中止
DVのトラウマ
いつ具合が悪くなるのかわからず働けない
銀行口座に100円しかない
生活保護も受けられない

そんな、
「どうやって生きていけばいいのか」
という問いを毎日する生活。

身体の調子も崩れましたが、
それよりも「こころ」の状態が危ぶまれました。

そこで、様々な学びを通じて、
「セルフバリデーション」を自分の支援モデルのメソッドとして、自分自身に行いました。

「バリデーション」とは、認知症ケアの一つの技術でもあります。
「バリデーション」の意味は、「承認」です。

つまりは、セルフバリデーションは、
「自己承認ケア」という意味です。

また、私はこころの傷を「創痍(そうい)」と呼んでいます。
これは、ドイツの心身医学の学びから得たものです。

さらに、「対話」を大切にしているのは、
フィンランドの急性期精神科医療の「オープンダイアログ」の学びから得たものです。

創痍は、ストーリー(物語)が生んだのではありません。
ストーリーが、感情を生み、
その感情が、創痍を生んでいると考えています。

だから、
ストーリーと感情を切り離して、感情だけを感じ切る。
そうすることで、ストーリーに苦しい意味づけが必要なくなります。

そして、
感情を感じ切った先には、創痍への許可があります。

最終的に、
「誰もが創痍を持って生きている」という理解にたどり着きます。

だから、
DVに関しても、
「彼女も同じく創痍を持っていた」
と思えることができます。

それは、
許す、許さないの次元ではありません。

それでも、
「誰も悪くない」と思える。

そこに、
「こころの余白」が生まれます。

この余白が、こころの豊かさを生みます。
「幸福」でも、「良い人生」という豊かさではありません。

こころの豊かさは、
ポジティブな経験も、ネガティブな経験も両方味わって生まれるものです。

その両方が自分。その自分でいい。ありのままの自分でいい。
そんな豊かさです。

だから、私は、
「誰もがありのままで素晴らしい」と
心の底から信じているのです。

このセルフバリデーションの実践から得たものが、

「こころ」という、
精神保健福祉士を目指した、
思春期の原点に立ち返ることでした。

そして、対話を通じて、
「あくまでも人と人の営みとして、こころに苦しみを抱えている方の力になる」
という、人生理念が生まれました。


「日和」とは何を意味しているのか

「日和」は、
「その日の空模様や気候の状態」をイメージする方が多いのではないでしょうか。

「こころ日和」の「日和」とは、
どんな空模様も引き受ける。

そして、
それは変えようのないものでもある。

と捉えています。

つまり、
どんな「こころ模様」も否定しない。
その安心感の中で対話を重ねていく。

さらに、
目の前の人を変えようとしない。
コントロールしようとしない。

変えるのは私ではありません。
その人自身です。

そもそも、
私は、変わる必要はないと考えています。

変わろうとすること自体が、
苦しみを生んでいるからです。

どんな自分にも許可を出すことで、
結果的に変わることができる。

でも、
それは変わったというよりも、
「自分らしさを再統合した」
ということではないかと思うのです。

しかしながら、
そのまま、ありのままの自分にしんどさを抱えているなら、
私はそのしんどさを軽くすることができたらとも、
考えています。

ただ、
「その人を100%理解することはできないということをわきまえた上で、
理解することを諦めない。」
という姿勢でいることを大切にしています。

そして、その姿勢で、
その人が、創痍とともに生きていくことができるまで、
ずっと伴走し続けていく覚悟を持っています。

戦国時代には、
「日和を待つ」と、
使われることが多かったそうです。

私は、
その人にとっての「日和を待つ」という、
行動を選択したのです。


「こころ日和」は、すでに在る

こころ日和は、先にも述べたように、
「どんな自分も素晴らしい」
というメッセージです。

今では、
「自己肯定感」という言葉が、一般的になったと感じています。

しかし、
「自己肯定感を高める」
「自己肯定感が下がっている」
という表現には、少し違和感を感じています。

なぜかというと、
私はこのように考えているからです。

どんな自分にも許可を出せるようになれば、
「自己肯定感に気づく」ことができる。

つまり、
誰もが、すでに自己肯定感を持っているのです。

そこには「こころ日和」がすでに在ります。


最後に

それでも、
こころのしんどさはあります。

私自身、
思春期からのメンタル疾患のしんどさ
胃がん手術後の、自律神経の不安定さというしんどさ
DVに耐えていた時のしんどさ
経済的困窮というしんどさ

この複数のしんどさを同時に抱え、
何度も倒れては起き上がってきました。

この七難八苦の経験から得た、
大切なギフトがあります。

それは、思春期に、
精神保健福祉士を目指そうと志した時と同じモノです。

先に述べた人生理念のように、

今度は自分が、
「こころのしんどさに苦しんでいる方の力になりたい」と、
強く思えたこと。

そして、その上で、
「自分らしく、自分の選択で、自分の人生を生きることを保障する社会を創る」
というビジョンを掲げることができたこと。

これが、
私の軸となり、
私自身を支えてくれています。

このビジョンが、
「この社会に生きる方たちの、こころの安寧をもたらす」と、
信じています。

そこには、
「人と人」という関係性以外ない社会が待っています。

※本記事に登場する「明子さん」は仮名です。
パーソンセンタードケアの理念に基づき、固有名詞で表現しています。


関連記事

セルフバリデーションや、
対話の必要性について書いています。
もし良ければ、プロフィールもご覧いただけると嬉しいです。