「自信を持てるように」と言われたときの違和感—インポスター症候群という言葉の広がりの中で—

投稿者: | 2026年4月21日

「もっと自信を持てるようになろう」

この言葉は、とてもきれいに聞こえます。
優しくて、前向きで、背中を押してあげているようにも感じます。

でも、どこか引っかかるのです。

この言葉の違和感について、考えてみました。


インポスター症候群という言葉の広がり

最近では、インポスター症候群という言葉もよく耳にします。

本来は、
成果や評価があるにも関わらず、
「自分は偽物ではないか」と感じてしまう状態を指す言葉です。

けれど、いつの間にか、

「自信が持てない人」
「もっと自信をつけた方がいい人」

そんな文脈で扱われることが増えているように感じます。


前向きな言葉の中にある違和感

そして、その流れの中で、

「リフレーミングしてみましょう」
「それは成長している証拠です」

といった言葉が続く。

一見すると、
「どうやったら自信を持つことができるのか」という、
前向きで、救いのある関わりにも見えます。

でも、やはりどこか、
違和感が残るのです。


「内側から変わる」という構造

なぜだろうと考えたとき、

それは「内側から変わるように見える」という点にある、
と感じました。

自分の中から変わっていく。
だからこそ、健全で自然なもののように見える。

けれど、

その“変わる方向”は、
すでに決められているのではないか。
私は、そのような疑問を抱いたのです。


「変わるべき」という前提

「自信を持てるように」

この言葉の中には、

“今のままでは足りない”
“変わった方がいい”

そんな前提が、ひそかに含まれているように感じます。


内側に入り込むコントロール

これは、直接的な押しつけではありません。

でも、

「こうなれたらいいよね」という形で、
望ましい状態が提示され、
それを自分の目標として受け取っていく。

外側からの無意識的なコントロールによって、
自分の内側の課題としてみえる。

そんな錯覚に入り込んでいるような構造になっていると、
私は思います。


善意の中にある「外側からのコントロール」

世の中には、このような関わりが多くあります。

善意であっても、やさしさであっても、悪気がなくても、
そこに「外的コントロール」が含まれていることがあります。

そして、それが“正しいこと”として扱われていくことが、
往々にしてあります。


一度立ち止まってみる

自信を持つ。
自分軸を持つ。
志を高く持つ…

これらが間違っている訳ではありません。

しかし、
それが「正しさ」になっていないだろうか。
その「正しさ」からはみ出してしまったら、
その人は駄目なのか。

そもそも、
「変えること」「変わっていくこと」が前提になっていること自体に、
少し立ち止まってもいいのではないかと思うのです。


認知症という文脈で見たとき

この感覚は、
認知症ケアにおいても、

ケアする側の「正しさ」によって、
認知症をもつ方の、戸惑いや不安を生むという構造と、
重なるようにも思います。


ありのままを見ていくということ

インポスター症候群と呼ばれる感覚も、

「自信をつけることで解決するもの」として扱うのではなく、

その人が、
どのように自分を捉えているのか。
なぜ、そう感じているのか。

ありのままを見ていくこと。

そして、
ありのままを承認していくことが、
大切ではないでしょうか。


自信の有無の前で

自信がある。
自信がない。

そのどちらかに向かっていくことに、焦点を当てず、
「今この瞬間、こう感じている」ということに、許可を出していくことが、
安寧をもたらすのではないかと思います。

そして、
自信があっても、なくても、
その人の価値を決めるものではありません。


最後に

変わろうとすることが悪いわけではありません。

ただ、

“変わるべき”という前提が、
いつの間にか自分の課題になっていたとしたら、

「本当に取り組まなければならないものなのか」と、
自分に問いかけていくことが、
自分の心も身体も守っていく術だと、私は思います。


「自信を持てるように」

その言葉の奥にある前提を、
見つめてみる。

もしかするとそこには、

変わることでも、変わらないことでもない、
もう少し自由な在り方があるのかもしれません。


もし、

「どう向き合えばいいのか」
「この感覚をどう扱えばいいのか」

そんなことを、もう少し整理してみたいと感じた方は、
こちらも参考になるかもしれません。

「自分の心の状態が分からないときに、対話が必要な理由」