自分の人生を生きる権利を保障するために―「こころ日和」の企業伴走支援の在りかた 病気や障がいがあっても、立場や役割が違っても、自分の人生を生きる権利は失われません。経営者と社員、仕事とこころ、身体、生活、医療、社会。その「あいだ」に立つ、私の企業伴走支援について書きました。
「頑張りたいけど頑張れない」―そんなしんどさを抱えているあなたへ 「もっと頑張りたい」 だけど、こころも身体も、 その気持ちについてこれない時がある。 「頑張れない」は、 あなたが精一杯生きている証です。 頑張っていても、 頑張れなくても、 あなたの価値は何一つとして変わりません。 頑張りたいけど頑張れない。 そんなしんどさを抱えるあなたへ。
「あなたらしく生きていく力」を取り戻すために あなたはすでに、「あなたらしく生きていく力」をもっています。こころのしんどさによって、それが見えなくなったり、気づくことが難しくなったりすることがあります。強くなること、前向きになることよりも、その前に、今あるしんどさを否定せず承認すること。そこから、他人軸ではなく、自分の選択で、自分の人生を生きていく力を取り戻していく。そんな「主体性の回復」について書いています。
「病院に行くほどではない」―こころのしんどさを置く場所があるということ 「病院に行くほどではない」「こんなことで相談していいのかな」。そう思いながら、こころのしんどさを抱えていませんか。苦しさに大きいも小さいもありません。今感じていることを否定せず、そのまま置いてもいい場所がある。この記事では、そんな選択肢があることをお伝えします。
「弱音を吐けない」―管理職が抱えるストレスを置ける場所 「管理職だから、弱音を吐けない」。責任感が強く、誰かを支える立場にいる人ほど、自分の苦しさを後回しにしてしまうことがあります。無理に前向きになったり、変わろうとしたりするのではなく、まずは今の気持ちを安心して置けることの大切さについてお伝えします。
人はなぜ人を求めるのか ―創痍と共に歩み続けるということ― 人はなぜ人を求めるのでしょうか。 私は長年、認知症ケアや精神保健福祉の現場、そして自らの病や喪失の経験を通して、「創痍(そうい)」という言葉を大切にしてきました。 創痍とは、単なる心の傷ではありません。 傷つき、物語を失い、それでもなお残り続ける「生きたい」「つながりたい」という願い。 私は、それを「ゾーエの混沌」として捉えています。 人はなぜ人を求めるのか。 創痍と共に歩み続けるということについて、私なりの考えを書きました。
“まだ頑張れる”と思ってしまう人へ―それはあなたを守ってきたもの― 「まだ頑張れる」 そうやって、自分のしんどさを後回しにしていませんか。 頑張れる人ほど、「助けて」と言えず、静かに耐え続けてしまうことがあります。 そのしんどさは弱さではなく、誰かを大切にしてきた誠実さなのかもしれません。 「変わらなくてもいい」という視点から、“頑張り続けてしまう苦しさ”について書きました。
「どうやって生きていけばいいのか」と問い続けた先にあったもの~「こころ日和」に込めた想い~ こころ日和とは、どんなこころ模様も否定しないという在り方です。私は「誰もが創痍を持って生きている」と考えています。だからこそ、「誰も悪くない」と思える余白の中で、対話を重ねていくことが大切だと考えています。
更年期の心の不調に悩むあなたへ|我慢しないで、「感じきる」という選択 更年期の心の不調は、ホルモンバランスや環境の変化が重なって起こる自然な反応です。こころのしんどさを我慢している自分を認め、辛い感情を「感じきる」ことで、こころは少しずつ整っていきます。認知症ケアの視点も交えながら、無理のない向き合い方を解説します。