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休職中に感じる不安と孤独への向き合い方~回復を焦らないために~

休職中は、
「このまま復帰できるのか」
「社会から取り残されるのではないか」
そんな不安や孤独を、
一人で抱え込みやすい時間でもあります。
本当は、
回復を焦らなくていい。
――でも、
焦ってしまう。
責めてしまう。
それが、とても自然なことだと、
私は思っています。
休職は、
自分を立て直すための大切な時間です。
焦りや不安を抱えたままでも、
「今の自分」を確認していくこと。
その積み重ねが、
本来の自分を取り戻すことにつながります。
そのプロセスを、
一人で抱えなくてもいい。
こころ日和は、
その時間に、
静かに伴走しています。

障がい・病気・がん ― 属性ではなく、人は「存在」としてどう在るのか

人は、病気や障がい、役割や立場といった
「属性」で理解されがちです。
しかし本来、
人はどんな属性よりも前に、
「一人の人」として存在しています。
尊厳とは、
誰かが与えるものではなく、
当然として存在し、
社会として保障されるべきものです。
そして何より、
尊厳が守られているかどうかは、
本人がどう感じたかが事実になります。

こころの不調があっても「病院に行くほどではない」と感じている方へ~そこにあなたの弱さも責任もない~

こころが少ししんどい。
でも「病院に行くほどではない」と感じている。
そんな方は、とても多いのではないでしょうか。
我慢を重ねる背景には、
休みにくい社会や文化もあります。
こころ日和は、
ありのままの自分で居られる場所です。
「こころ日和がある」
そのことを、こころのどこかに置いておいていただけたらと思います。

認知症ケアが幸せを感じさせてくれた日~あくまでも人と人との営みであるということ~

認知症の有無に関係なく、
人は「一人の人」として存在しています。

否定せず、コントロールせず、
そのままを認めるかかわり。

その時間が、
私にとって、とても大切で、幸せな時間でした。

「誰も悪くない」――セルフバリデーションが教えてくれた、その理由

セルフバリデーションとは、
感情を変えることではなく、
感情が在ることに許可を出す生き方です。

創痍(心の傷)を否定せず、
苦しさを苦しいままに感じ切ることで、
人は「誰も悪くない」という地点へ戻っていける。

パラダイムシフトとは?——創痍がミクロとして生み、セルフバリデーションがマクロへと統合する

世界の見え方は、
私たちが抱える“創痍”によって形づくられている。

痛みや喪失、裏切りや孤独——
それらはすべてミクロ(内側)のレンズとなり、
人・世界・自分の価値を歪ませてしまう。

だから人生が変わる瞬間とは、
外側を変えることではなく、

創痍に触れ、
その痛みを感じ切り、
自分らしさを取り戻したときに起きる。

これが本当のパラダイムシフト。

ミクロ(内側)が変われば、
マクロ(現実)は静かに書き換わる。

世界はいつだって、
あなたの内側から始まっている。

「創痍」と「対話」――パーソンセンタードケアの原点へ

「創痍」とは、癒えない痛みではなく、
“まだ世界とつながりたい”という証。

「対話」とは、相手を変えるためではなく、
相手の世界を見に行く行為。

怒りには怒りで、悲しみには悲しみで寄り添う。
それが、嘘のない共感。

パーソンセンタードケアの原点は、
“認知症の人のため”ではなく、
“すべての人の尊厳を守ること”にある。

支援とは「助けること」ではなく、
「互いの創痍に寄り添い合うこと」。

目に見えない共感というグルーオンが、
人と人とを再びつなぎ合わせていく。