人はなぜ人を求めるのか ―創痍と共に歩み続けるということ― 人はなぜ人を求めるのでしょうか。 私は長年、認知症ケアや精神保健福祉の現場、そして自らの病や喪失の経験を通して、「創痍(そうい)」という言葉を大切にしてきました。 創痍とは、単なる心の傷ではありません。 傷つき、物語を失い、それでもなお残り続ける「生きたい」「つながりたい」という願い。 私は、それを「ゾーエの混沌」として捉えています。 人はなぜ人を求めるのか。 創痍と共に歩み続けるということについて、私なりの考えを書きました。
「どうやって生きていけばいいのか」と問い続けた先にあったもの~「こころ日和」に込めた想い~ こころ日和とは、どんなこころ模様も否定しないという在り方です。私は「誰もが創痍を持って生きている」と考えています。だからこそ、「誰も悪くない」と思える余白の中で、対話を重ねていくことが大切だと考えています。
人間関係がしんどいと感じるのはなぜ?―心が開かれている人ほど苦しくなる理由 人間関係がしんどいと感じるのは、弱さではありません。 むしろ、心が開かれている人ほど、人の感情や苦しさを受け取りやすく、疲れてしまうことがあります。 この記事では「人間関係がしんどくなる理由」と「対話が必要な理由」を、哲学や精神医療の視点も交えながら解説します。
ただ、ガンになっただけなのに──創痍と共に生きるという選択 「ただ、ガンになっただけなのに」 その言葉が溢れて、泣き崩れる夜もある。 それでも私は、 すべてを許可し、 未来を選び直す自由を握り返す。 不安と恐れを小脇に抱えて、やる。 いまの私の選択です。
認知症ケアが幸せを感じさせてくれた日~あくまでも人と人との営みであるということ~ 認知症の有無に関係なく、 人は「一人の人」として存在しています。 否定せず、コントロールせず、 そのままを認めるかかわり。 その時間が、 私にとって、とても大切で、幸せな時間でした。
「誰も悪くない」――セルフバリデーションが教えてくれた、その理由 セルフバリデーションとは、 感情を変えることではなく、 感情が在ることに許可を出す生き方です。 創痍(心の傷)を否定せず、 苦しさを苦しいままに感じ切ることで、 人は「誰も悪くない」という地点へ戻っていける。
パラダイムシフトとは?——創痍がミクロとして生み、セルフバリデーションがマクロへと統合する 世界の見え方は、 私たちが抱える“創痍”によって形づくられている。 痛みや喪失、裏切りや孤独—— それらはすべてミクロ(内側)のレンズとなり、 人・世界・自分の価値を歪ませてしまう。 だから人生が変わる瞬間とは、 外側を変えることではなく、 創痍に触れ、 その痛みを感じ切り、 自分らしさを取り戻したときに起きる。 これが本当のパラダイムシフト。 ミクロ(内側)が変われば、 マクロ(現実)は静かに書き換わる。 世界はいつだって、 あなたの内側から始まっている。
「創痍」と「対話」――パーソンセンタードケアの原点へ 「創痍」とは、癒えない痛みではなく、 “まだ世界とつながりたい”という証。 「対話」とは、相手を変えるためではなく、 相手の世界を見に行く行為。 怒りには怒りで、悲しみには悲しみで寄り添う。 それが、嘘のない共感。 パーソンセンタードケアの原点は、 “認知症の人のため”ではなく、 “すべての人の尊厳を守ること”にある。 支援とは「助けること」ではなく、 「互いの創痍に寄り添い合うこと」。 目に見えない共感というグルーオンが、 人と人とを再びつなぎ合わせていく。